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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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2017年8月の記事一覧

ソフト童貞を奪った男

いつどこで相手の”はじめて”を奪ってしまうのか。ぼくたちは、その意識ができているようで、あまりできていない。 学生の頃だったか、バイト先の飲食店で、ソフトクリームを取り扱っていた。夏になれば、毎日のように注文がドカドカと入る。気温で溶けそうになる冷たいバニラにかぶりつく、それが旨いのだ。 ソフトクリームをつくるときは、機械でくるくるとまわす例のあれを使う。コーンの上に美しくとぐろを巻けるかどうかで、おいしさが数倍も変わると言ってもいいんじゃないだろうか。 くるくると巻い

あそび場、まなび場

あそび心がないと、さみしい気持ちになる。 この「あそび心」というのは、物事を眺めたり、向き合うときの視点をズラすことで、新たなおもしろがり方を見い出し、その方を変えることだとぼくは思っている。 「いつもの通勤路で、飲食店は何件あるのか、と数えてみること」 「食器洗いを、毎回何秒で終わらせることができるか、と記録に挑んでみること」 「天気雨に出くわしたら、あいつの仕業だな、と狐の嫁入りを想像じてみること」 などなど、考え方をほぐしてみると、なんらたいしたことない普通のこと

「生み出す」よりも「見い出す」

新たなものをつくるよりも、今すでにあるものを見直し、たとえ”負”とされているものでも、視点・角度を変えることで、素材そのものを活かす道はないものか。 いつも、そんなことを考えている。そもそも「クリエイティブ」というものは、ゼロから「生み出す」よりも、課題を整理することですでにあるが隠れている答えを「見い出す」作業に近い気がする。 というのは、書籍『佐藤可士和の超整理術』からの受け売りみたいなもんだけど、そういう仕事に関わるようになってから、その考え方が身体化してきたのはあ

恩送られ

「恩返し」は、受けた恩をにその人に直接返すことだけど、「恩送り」は受けた恩を別の人に送ることをいう。 はじめて、この考え方に出会ったのは、バーで働きはじめてからだったけど、よくよく考えてみたら、「先輩に散々おごってもらってきたから、後輩におごるようになる」という構図そのものだ。 恩を本人に返すことはもちろん大事なことだけど、それだけでは「未来がさみしくなる」という感覚が30近くになって芽生え、恩送りの意味をスルメのように噛みしめるようになった。 上の世代から、下の世代へ

運動不足

何も思い浮かぶことなく、心は空っぽのままに筆を走らせてみる。 思い出す。「運動」が大事だったということを。いつも走りはじめてからハッとすることばかりだ。どんなにスポーツの知識・戦術を頭でわかっていようが、自分がやる段になったときに、身体が反応しなければ、まったくというほど意味がない。 イメトレだけでは越えられない壁というのは必ずあって、だからこそ日々鍛錬をするわけであって、頭で考えて動くよりも早く、身体で考える(反射の域まで持っていく)ことをしたいのよ、ホントはね。 身