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服とメロス

おしゃれに向き不向きがあるとするならば、私は絶対的に後者である。

私には着こなしがわからない。けれど、邪悪に対しては人一倍敏感だった。

要は「ダサいけどオシャレに見せたい奴」なのだ。自分がダサいというのは承知の上で、周りからセンスの無さをいじられるのは割と傷つく、至ってしんどい人間である。

服を買いに行く時には、十里はなれた店を選ぶ。服屋で知り合いに会うのは無理なのだ。だから私は、隣町のイオンまで車を走らせる。

しかし、野を越え、山を越え、はるばるイオンにやってきたとて、邪知暴虐な体型によって、服たちはあっけなく殺されてしまうのであった。

シンプルに言えば「似合わない」のである。主観的な要素が強いと思われがちだが、傍から見ても、大抵の服は怯えるほど似合わない。

たくましい骨格と豊かな贅肉を持ち合わせているがゆえに、悪い意味で小顔効果が発揮されてしまい、多分試着室にいる時が一番元気出ない。
本当に、激怒とかできないぐらい辛い。

私は、よくよく不幸な女だ。私は、きっと笑われる。ああ、何もかも、ばからしい。やんぬるかな……そんなことばかり考えて、服を買うのを諦める。

そうして結局、応援するバンドのグッズやトンチキなおもしろTシャツに辿り着く。ダサいけどオシャレに見せたい奴なので、あえての抜け感(最上級の言い回し)を演出しようとする。完全なる乱心である。

願わくば、私もコンサバ系女子になりたい。けれど、正統派の着こなしは程遠く、ここ数年はオーバーサイズの恩恵に浸りまくっていた。最近はネットの通販で補正下着ばかり閲覧している。私を殴れ。力いっぱいに頬を殴れ。


先日、母から服を貰った。「リモート勤務とはいえ、オンラインなんかで会議があるでしょう」とキレイめのシャツを貰った。締めつけを嫌い、ジャージばかり着ていた私は、糊のきいた襟首を前に打ち震えた。

私は、世情にかこつけて自堕落な生活を送っていた。食後、ひとたびコタツに入れば、あとはずっと寝たきりの日々。あらゆるものを手の届く範囲に置き、気休め程度のストレッチを行うのみである。私を殴れ。殴られなくては、このシャツを着る資格はない。

しかし、現実は無情である。殴り合って大円団、と収まるはずもなく、かくて当然のことながら、前開きになったシャツのボタンはしまらなかった。愛と誠の力ではどうにもならないこともある。それよりも、命がけで峠を走った方がいい。

私は、ひどく赤面した。そうして、フィットボクシングを始めた。

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