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拝啓

盛夏のみぎり、天気の定まらない日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。先日Twitterで開催された逃避行映画のスペース、大変おもしろく拝聴いたしました。

その話題に乗じて、私も「おすすめハラスメント」をしようと思います。
ちらりと話題に出ていたと思いますが……ええ、「月とキャベツ」という映画についてです。

脱輪さんはスペースの中で「逃避行映画に逃げる先はあるのか?」ということをおっしゃられていました。
個人的な意見ですが、逃げた先には新しい日常があってほしいと思います。
「ここではないどこかへ」と願った旅路の結末は、少しぐらい明るいものであってほしいと祈りたくなるからです。

「月とキャベツ」では、「絶対的なカリスマであった自分」から逃避する、バンドのフロントマンが登場します。
この映画を初めて観たとき、私はまだ学生で、当時は「燃え尽きる」という感覚がよくわかりませんでした。
これだけの成功を収めた人間がどうして逃避を望むのか、まったく見当がつかなかったのです。

学生時代の私は、未来にあるはずのゴールをひたむきに目指していました。
目標を立てて懸命に、という感じではなく、ただいつか報われることを願って生きていました。
大人になってしばらく経って、今の私はまだ何も成し遂げていないけれど、ようやく彼の気持ちがわかるようになった気がします。
少し冷静になった証拠なのか、あるいは、自分自身を見限ってしまったのかもしれません。

私は雲が動くのを眺めるのが好きで、映画もそれぐらいのんびりした、ゆるゆると日々の過ぎる作品が好きです。
学生の頃は一日がとても長く、吐き気がするほど退屈で、それでも夜だけは怯えるほどの早さで消えていきました。
私の時間はいつも真夜中にあって、昼間なんかは無くなってしまっても良かったけれど、本を読んだり音楽を聴いたり、映画を観たりする夜は、いつまでも終わってほしくなかったのです。

あのときは本当に、夜にしか物語が生まれないと信じていました。
現在の私を形成したものについて思い返すとき、頭の中では決まって、カエルや鈴虫の鳴き声がしました。
世界はレンタルビデオ店とブックオフの中にあって、お風呂上りのあと、父の車に乗ってそれらの店を周回し、帰り際、自動販売機でジュースを買ってもらうのが一番の楽しみでした。
そのとき感じた胸の高鳴りを超える経験は、二度と現れないようにも思います。レンタルバッグのトゲトゲした肌触りが、一番心地よかった時代の話です。

だから私は、時間が止まってしまいそうな作品が好きでした。
スローテンポな展開もそうですが、本当に何でもない、日常のワンシーンが大好きで、いつでも逃げ込むことができそうな、身近にあるような世界が好きでした。
けれど、当時から「月とキャベツ」は明確なフィクションとして、私の中にありました。
「山崎まさよし」というアーティストをすでに知っていた、ということもありますが、自分の境遇とあまりにリンクしない世界であったのが一番大きかったと思います。

現実には起こり得ない、ありえない世界だと理解しながら、「月とキャベツ」はあまりにも美しい映画でした。
ヒロインの儚さに身もだえ、羨望の気持ちが溢れました。
自分とはまったく正反対の透明感。言うなれば、アイドルに憧れる気持ちに近かったでしょう。

世界に入り込むことが躊躇われるのに心を奪われる映画、というのは「月とキャベツ」が初めてでした。
いわゆる「尊い」物語。逃避行の結末が明るいものであってほしいと願うのは、この時の映画体験がとても影響しているように思います。

話が少し逸れますが、ハッピーエンドの物語に救いを求めるようになったのもちょうどこの頃で、同時期に「CUBE」を観てしまい、得も言われぬ気持ちになったのをよく覚えています。
「ハッピー」か「アンハッピー」かの捉え方は、その時の心情にすごくリンクする、というのも痛感したので、あの頃は小説の読み方や物語に対する接し方が変わったタイミングでもあったな、と思います。

映画とは関係ない部分で余計な話をしてしまいましたが、ともかく「月とキャベツ」はおすすめです。
できれば深夜のこっそりとした時間に、氷を入れた飲み物を片手に鑑賞していただきたいです。
余談ですが、いつか映画のようなかたちでキャベツをまるまるひと玉食べてみたいと願っていますが、その夢はまだ叶っておりません。
模倣の癖がありながら、自分の詰めの甘さをつくづく実感しています。

しかしながら、自分の好きなものをまっすぐに話すことは、本当に勇気が要りますね。
自分が人にモノを勧めたいと思うときは、そのとき感じた情動込みで伝えたくなる人間なので、話が長くなりがちです。加害者になる勇気がないために、長く話せば話すほど、夜は反省しきりというのも悪い癖です。

ともあれ、この度は素敵な機会をありがとうございます。
お忙しいことと思いますが、くれぐれもご自愛くださいませ。

敬具

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