ふたつの「エモい」

どうも初めまして。大学生お麦です。一浪した大学2年生です。つまりは21歳。私が最後にまともな文章を書いたのは、おそらく小学生の時が最後。文才力の無さを笑ってくれ。ここでは私の心情を赤裸々に記していきます。そんな前置きどうでもいい。ではいこう。

私にはふたり、目標にしている人物がいる。マルチクリエイターの「ぶんけい」師匠、とマーケターの「くつざわ」師匠だ。私が勝手に師匠としているだけで面識があるわけではない。

このふたりが考える「エモい」は何か違う。でも、どちらの定義もしっくりきたからこの場で書き記して整理したいと思っている次第だ。

ぶんけい師匠の「エモい」は、いい意味で言葉にできなくなった瞬間、語彙力がなくなった瞬間だと言う。人それぞれのエモいのレンジは違くて、「なんて言ったらいいんだろう」ってなった時にエモいがつかわれる。個々それぞれの語彙を超えた瞬間が「エモい」という表現に辿り着いたのだと。

何だそれ。。「エモい」についてそんなに真剣に考えたことがなかった私からすると納得以外の何者でもなかった。

くつざわ師匠の「エモい」は、その状況をいかに鮮明に提供できるか。であるとnoteに記していた。文章の読み手にとってその状況を鮮明に思い起こされるものがエモいなのだと。 

ん? 何だ。そもそもこのふたりが言う「エモい」は、違っていたのか。頭が悪くてよくわからなくなってきた。                       ぶんけい師匠のエモいは、受ける側が「エモい」と感じる瞬間の定義      くつざわ師匠のエモいは、文章によるもの。例えば、ある名詞に、さまざまな形容詞をつけ、誰もが共感できるような背景をつくりだす文章を作る。くつざわ師匠が実際に出していた例文はこれだ

「高校の部活終わり、泥のついたリュックから出す蓋の周りに粉の付いたシーブリーズ」

この文章を読んだ人は、それぞれ自らの過去の経験をもとにこの状況の景色が頭に浮かぶ。そしてエモいを感じる。 と言ったもの。くつざわ師匠の例えは非常にわかりやすい。

お、これは。 このふたりが言う「エモい」は、文章を介するかどうかが違うだけで、「エモい」を感じる人の状態は同じなのか。ぶんけい師匠はエモいを受ける側。くつざわ師匠は、エモいを作り出す側。それぞれ逆の視点で述べていたものを同じ視点で考えようとしてたからよく分からなかったのか。

ただそれだけのことに、頭を悩ませながら今回書いている。これでまとまって整理できたのかは今の私には分からないけど、今はまとまったことにしとく。させてくれ。

きっと時間が経ってこれを読み直したら、もう少しちゃんと深掘りして考えられるだろう。または、頭の悪い文章すぎて笑えるかどちらかだ。

これを読むあなたも付き合ってくれてありがとう。

初めてこういう文章を書くけど、自分の頭の中ははちゃめちゃなんだと思った。 ドラえもんのポケットの中みたいに散らかっている。また何か感じて頭を整理したくなったら文にするぞい。



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