死ぬならば、病気がいい。 人間的な死に方だなと思うから。 抗えない老いとか、遺伝とか。 なによりこれまでの生活の蓄積というのが、自分のせいになるから。 そんなことを何も知らないで考えてると、じゃあ自然災害の死は、地球人的死に方だなと思う。 何よりも抗えないものは結局自然だと思うから。 と、また何もしらず考えながら思い出したけど、小学2年生くらいのとき、「死ぬ」っていうタイトルの2〜4ページ完結短編集を作ってた。 シリーズ化して、「死ぬ4」を作成中、先生に見つかって没収
避けてる、逃げてる、逃げてた、逃げてたことも忘れてた感情をちゃんと感じないといけない、感じてあげないといけない
今の自分が無力で、それを痛感した日に、自ら何かをする事を止めると決めた、人の元で、赤ん坊の気持ちでもう、プライドは捨てて、やる。 と、決めて直ぐ、「ああ自分は自らすることを諦めていないのか、辞めるではなく止めるなのか。」と気付いた。 つらい、あまりにもつらい、少しの悔しさ、なんで少しやねんとつっこみながら眉毛をスマイルの口にしながら、当の方はその逆。ああ。
何かをしようと思っても、その先を考えさせられるので、進むのが遅い 自分で考えてるんだけど まあでも進んでるならいいよね 営利目的はよして
170℃の22分と24分、どちらの良さもあってどっちで行くか悩んでる時、「ああ選択しようとしてる…」と気付かされた (?)
自分に厳しいのはいいかもしれないけど自分が自分のアンチになってるならそれは一種の甘えなんだろうな
拷問でも受けてんのか?ってくらいセミが泣いてて「今日も平和なんやな」となった
付き合ってた男と最高のセックスをしてるとき、最高すぎるのにそれだけであることに対して急に感極まって、泣きそうになった
何をするかも、何を感じるかも重要だけど 何かしてる時、感じてる時、そのままの気持ちを出せているかが本当に大事な気がした
どうせ人生少女U「」なんだろ
自分に余裕がなくて、なさすぎておざなりにしてた 周りを大事にすることができてなかった 家族でさえも 今も余裕はないけど、大事にできなかったことに目を逸らさずに真正面に向き合えたので、忘れずに、忘れてもそうなってることに気付いたらすぐ手をつける。
感情に、素直に正直になるのは、意外と難しくて困惑する
「〇〇は□□で中和」「肯定と否定の真ん中」など物事や内側や生き方の美しさは"中庸"に込められているなと