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好きなやさしさと苦手なやさしさ
久しぶりにnoteを開いて何か文章を書きたいなと思ったら、良いお題があったので書いてみる。
やさしさを感じた言葉
私はやさしい人たちに囲まれて生きてきたと思う。困ったときには助けてくれて、泣いてるときに慰めてくれて、辛いときに励ましてくれるような人たちが側にいてくれたと思う。
ただ、やさしいことは分かってもどうしても受け入れられないことがあったり、逆に悲しい気持ちになることもあったように思う。それはすごく贅沢なことかもしれないけれど。
やさしいが難しいと思うのはこれが理由で、自分が与える立場の場合も相手によって必要なやさしさをちゃんと提供できないと、それは相手にとってはやさしさではなくなってしまうのでは、という不安がある。
つまり、やさしいには色々種類があって、自分と相性のいいやさしいとそうでないやさしいが存在する。さらにそれは人それぞれタイプが違うと思っている。
この記事の中では、今まで経験したいくつかのやさしい言葉をもとに自分が好きなやさしさと苦手なやさしさについて考えたみたい。
気持ちわかるよ!それすごく辛いよね
きっと大丈夫。がんばって
信じてるよ。がんばって
あなたが悲しんでることを聞いて、私も悲しい
明けない夜はないよ。無理せず待とう。
引用の使い方合ってますかね?笑
1〜5の言葉、どれも何か相談した際に慰めてもらったときに言われたことがあるのだけど、受け取る時の気持ちは全然違った。
相談の内容にもよるかもしれないが、なんとなく返しのパターンの違いがお分かりいただけるだろうか。
ちなみに私が好きなのは4で、相談内容に対してではなくその人の気持ちを伝えて寄り添ってくれるタイプのやさしい言葉。
1は共感の言葉で、気持ちを肯定してくれる言葉。2、3、5は違うタイプの安心感を与えてくれる言葉。
人によって相談によって変わるだろうけど、私は特に1のタイプが苦手。「わかる」と言われてしまうと「ほんとに?」と思ってしまう。私が必死で自分の気持ちを訴えかけている場合はその限りではないが、同じ立場でも同じ環境にいるわけでもない人がほんとに分かってくれてるかが気になってしまうのだ。そして、そう考えてしまう自分が好きではないので輪をかけて悲しい気持ちになってしまう。自分が慰める、相談にのるときもこれがとても苦手で、意識して行うことが多い。しかし、共感してくれる人を否定するわけではないし、自分にはないやさしさをもっていることに羨ましさすらある。実際にこういう言葉を必要とする人が多いとも感じている。
2、3、5は似ているが少しずつ違う。
まず、2と3はなぜ大丈夫かの言及があるかないか、これが私にとっては大きな違いになる。3は私だから大丈夫と言ってくれていることに嬉しい気持ちになることで励まされるが、2に関してはなんの説得力もなくなんとなく私の悲しい気持ちを放り投げられた気持ちにさせられる。おそらく、2には3の気持ちが含まれているであろうと思いつつ、私はうまく受け止めることが出来ないのだ。誰かにとっては「信じてる」と言われることの方が嘘くさく感じたり、プレッシャーになったりするのだろうが、私は2の言葉のやさしさを感じることがうまくできない。これは本当に相性の問題のように思う。
明けない夜はない、も説得力がないように思うのだが、2と5の違いは「頑張ろう」なのか「無理せず待とう」なのかだ。これは自分の心境にかなり左右されるのでどちらが良いはない。既に頑張り尽くしていれば「頑張ろう」が辛いときもあるし、ただ迷っているだけの時は「無理せず待とう」が物足りなく感じることもある。うーん、本当にわがままの話だ。
4が好きな理由は、私の状況がどうであれ私が悲しんでいたり辛い気持ちである事実を認めてくれていることにとても安心するからだ。嘘っぽいと言われればそうかもしれないが、私はこの言葉にあまり嘘くささを感じたことがない。というか本当に一部の信用してる人にしか使われたことがない。第一声でこれを言ってもらえた時、すごく安心したのを覚えている。もし私の状況がわかっていなくても、その気持ちが生まれる理由はわかる。それは私が同じ立場だったら、やっぱり同じ気持ちになると思うから。辛い気持ちの人をみると辛い気持ちになる。けど、それを相手に伝えるということが救いになるとわかったのは初めてこの言葉をもらったときだ。私ももし誰かが辛い思いをしているときにはこの言葉を贈りたいと思った。
と、色々自分語りをしたのだが、何が言いたいかと言うと、色々なやさしさがあってどれも間違いじゃないけど、相手の状況によってやさしさを使い分けられるような人間になりたいということ。
言葉は救いになる。これからもやさしい言葉に支えてもらいないながら、時には支えながら生きていきたい。
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