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スタッフストーリー#9 / 美容業界から高齢者病院への転身 -生きるほどに美しく- を実現できる介護の仕事


青梅慶友病院には在職中、またはかつて在職していたケースも含めると、多数の親子職員や親族職員が働いている。
今回の『スタッフストーリー』シリーズは、そんな親子二世代職員でもあるケアワーカー、下田紗恵さんのストーリー。


美容への芽生え


いつも姉のあとを追っていた、
と下田さんは言う。

小学3年で中学受験をしようと決めたのも、中学で吹奏楽部を選んだのも、“姉がそうしていたから”だった。

好きになったアイドルも、姉が好きだったグループでしたから(笑)。
当たり前のように、姉が選ぶものを私も選んでいました。
本当はけっこう性格が違うんですけどね。

祖父が好きだったというスキーには家族でよく行った


2歳違いの仲良し姉妹でいつもお姉さんのあとを歩いてきた。
そんな下田さんが、初めて自分の興味に突き動かされたのは高校生の頃。

体育祭か文化祭か、クラスで出し物をすることになり、ヘアメイクを担当することになったんです。
とにかくそれがすごく楽しくて。
もともと美容に関心はあったんですが、もっと知りたい、勉強したいっていう気持ちが高まって、将来は美容の仕事ができたらなあ、と考えるようになっていきました。

高校卒業後、下田さんは美容を学ぶため山野美容芸術短期大学へ進学した。
お姉さんがしていたから、ではなく下田さん自身が自らそうしたいと思い定めての選択だった。

短大では美容師になるための勉強が中心で、カット、カラー、パーマはもちろんネイルや着付けも学びました。
それからマナーや茶道、華道なんていう授業もあって、まさかそれが後々「病院」で活かせることになるとは当時は想像もしていなかったのですが。
あ、そういえばその頃、もうひとつ“今の仕事”とつながる伏線のような機会もありました。
『美容福祉』という授業があったんです。
正直に言えば、熱心にその講義を受けていたというわけではないのですが、そこで学んだ  ‐生きるほどに美しく‐  という考え方には関心を持ちました。

この『美容福祉』の講義で聞いた  ‐生きるほどに美しく‐  という言葉が、のちに慶友病院への入職を決断するにあたり影響を与えることになるのだが、当時はまだ結びついていなかった。

在学中、コンテスト〔JUHA JAPON FESTIVL〕にエントリーした際の下田さんの作品


卒業、就職そして転職


短大を卒業した下田さんが最初に選んだ仕事はアイリストだった。
アイリストとはまつ毛のパーマなど、まつ毛への施術をする仕事で、美容師資格を必要とする。
新卒で美容師ではなくアイリストを選んだ理由を訊ねると、少しはにかみながら答えてくれた。

私は人見知りする性格で、美容師になったら初対面の人ともたくさん会話をしなくちゃいけないだろうなと思って、その選択は回避しました。
それで、まつげの施術なら会話を弾ませる必要はないんじゃないかと思って。

実際に働いてみて、どうでしたか?

好きな美容の仕事でしたし、苦手なことを無理にする必要もなくて、そのことは問題なかったのですが、一日中同じ姿勢で施術しているうちに腰を痛めてしまって。
これをずっと続けるのは厳しいと思い転職することにしました。

その後に就いた着物の販売やアパレルの仕事も楽しい場面がなかったわけではないが、販売成績を意識せざるを得ない環境にはストレスを感じた。
社会に出て働くうちに下田さんの中に徐々に芽生え始めたのが「長く働ける仕事がしたい」という思いと、自分の仕事が「人のためになっている」実感を持ちたいということだった。

迷い込んでいました。
転職を何度か経験したので、自分でもどんなふうに仕事を決めたら良いのか分からなくなってしまったというか。
これまでと同じ考え方で転職先を決めたら、きっと同じ結果になってしまう・・・
そう悩んでいたときに母がポロっと「慶友病院はどう?」と口にしたんです。

美容の世界から高齢者病院へ


下田さんのお母様は、以前に慶友病院で勤務されていましたよね。
今は退職されて、元々好きだったクッキー作りを仕事にされていると聞いています。
そんなふうに、勤めていた方が身内に就職を勧めてくださることは、病院にしてみると大変嬉しいこと、と理事長もよく口にしています。
職場の内側も全て知ったうえで勧めてくださっているわけですから。

母の在職中に、慶友病院の話はよく聞いていました。
悪い話を聞いたことは一度もありません。
きっと働きやすい職場なんだろうなという印象は抱いていました。
 
それで入職を決めたのですか?
 
いえ、実はそれだけでなく、もう一つ別のご縁がありまして。
入院患者として親族がお世話になったことがあるんです。
その家族が「いつ会いに行っても、きれいにしてもらっている」と口にしていたことを思い出しました。
その時に学生時代の『美容福祉』で聞いた‐生きるほどに美しく‐という考え方を、改めて思い返したんです。

「そうか。病院だけど、誰かをきれいにすることが仕事になるんだ」と気がつきました。


かつて慶友病院で働いていたお母様の姿、
「いつもきれいにしてもらっていた」というご親族の思い出、
そして学生時代に学んだ  ‐生きるほどに美しく‐  という精神。

その3つが結びついたことで、青梅慶友病院で働くことを決心したのだという。


下田さんが青梅慶友病院に入職して、もうすぐで一年が経ちます。
事前に抱いていたイメージ、期待とのギャップはありませんでしたか。
 
実は、親戚が「会いに行くと、いつもきれいにしてもらっている」と語ったエピソードには続きがあって、「もしかしたら面会に行くときは特別にきれいにしてもらっているのかな」と半分冗談で話していたことがありました。
「うちはしょっちゅう面会に行っているから手間を増やして申し訳ない」なんてことまで言っていたんです。

でも、実際には違いました。
面会があるからではなく本当に毎日、患者様をきれいにして差し上げている様子を目の当たりにしました。
ここではそれが当たり前のことだったんです。

慶友病院で働き始めた新人職員が、接遇マナーの水準が高くて苦労したという話を聞くこともあります。
下田さんはいかがでしたか。
 
私の場合はそれほど大変だとは感じませんでした。
接客業を経験していましたし、学生時代にマナーの授業があったことも、ここで助けになってくれたと感謝しています。
それよりも、私にとっては別のことが不安でした。

患者様や職員と、上手に人間関係が築けなかったらどうしようと。
人見知りだし、社交的とはいえない自分にここでの仕事が務まるのかと。
でも結果的にその心配は不要でした。
病棟には大勢の患者様が入院されていますが、結局はお一人お一人としっかりコミュニケーションをとって、時間をかけて人間関係を構築していくのですから。
そのことに年齢の差は関係ないです。
それに患者様はお話上手な方も多くて、日々たくさんのことを教えてもらっています。

職員同士の関係ではどうですか。
美容やアパレルの仕事では同年代の方と働くことが多かったと思いますが、ここでは幅広い年代の職員とチームで働くことになります。

私の場合、あまり年齢は意識しない方なのかもしれません。
年代が違うから、という理由でうまくいくとも、うまくいかないとも考えないというか。
そもそも慶友病院の職員はそういうことに関係なく、本当に優しい人が多いし、みなさんおだやかですよね。
スタッフがそうだから病棟の雰囲気もおだやかになる。それが患者様の生活にとって、心地よい空間になっていくのだということを実感しています。


生きるほどに美しく


医療・介護と美容。
一見すると別の分野にも思えるが、この病院では患者様の日常を支えるための要素として同等に必要とされている。
下田さんは慶友病院で
 ‐生きるほどに美しく‐
を象徴するような場面に立ち会ったことがあるのだという。


初めてエンゼルケアに関わらせていただいた時のことです。

エンゲルケアとは、亡くなった方に対しておこなう死後の処置のこと。
身体を清潔にし、化粧(エンゼルメイク)や更衣で見た目を整える。

ご逝去されたその患者様は女性の方で、特に美容には強い関心をお持ちでした。
その患者様を看護師、ケアワーカーの先輩が、一つ一つ丁寧にきれいにケアをしていく様子には本当に感動しました。
「リップの色はどうしようか」って、その患者様がお元気だった頃のことをみんなで話し合いながら、「こっちの方が喜ばれるかな」なんて相談しているんです。
こんな形で美容という方法で人に寄り添うことができるんだ、と心を打たれました。

決して一直線でこの仕事にたどり着いたわけではなかった下田さん。
好きなことと自分にできることとの距離に悩みながらも、その一方で回り道だったからこそ手に入れられる経験値を蓄えてきた。
病棟の先輩スタッフに下田さんの人柄を訊ねると、そっと教えてくれた。

「彼女は本当にやさしいひとです。でも・・・決して弱くはないんです」

これから社会に出ていこうと準備をしている学生さんや、かつての下田さんのように、働きながら悩んでいる方へ、何か言葉をかけるとしたらどんなことを伝えますか、と本人に訊ねた。


自分がいま知っている世界だけがすべてじゃない、はずです。

病院でケアワーカーとして働くことは、私自身が考えもしなかったことでした。
でも、その想像もしなかった世界でいまこうして、自分が好きだった美容の力を借りながら「人のために働く」実感を持てているんですから。

かつて下田さんがあとを追いかけていたお姉さんはいま、海外へ飛び出して活躍中なのだという。

「もしかして下田さんも、あとを追って海外へ?」
そんなことを訊ねると、笑いながらきっぱりと否定してくれた。


もう大丈夫です(笑)。

自分で決めたこの場所で、これからも自分らしくやっていくつもりです。


“元慶友職員”のお母様と