猫みたいな人がいい

 猫みたいな人がいいです。
 僕にとって猫とは憧れの対象です。
 一昨日富士サファリパークで猫の館で猫と触れ合った。500円で猫と触れ合える場所です。
 そこで目いっぱい猫を愛でて、傍から見たら変な人と思われるくらい猫に話しかけてしまった。それほど猫は愛される存在だと思う。
 でも、猫にはどんな人間が来ようとお構いなしだったと思う。僕が来ようが子どもが来ようが大人が来ようが自分がやりたいことをやっている
 寝たいときには寝て、食べたいときには擦り寄ってきて、窓の外を見たければ窓に向かう。そんな生活を見るのが大好きだ。
 それを見ていて、僕は猫みたいな人いいのかもしれないと思った。なぜなら、僕はお世辞でいろいろなことを言われるのが嫌いだからだ。
 例えば、相手が偉いひとで何かを見せてきたとしましょう。偉い人は「どうだ?すごいだろ?」と聞いてきます。
 そこで何も考えなしに「すごいです。」と言うのが嫌なんです。その人が本気で好きならいいのですが、「世間が認めた著作者だからすごい!」というような考えが好きにはなれません。
 僕はその人が本気だったらいくらでもその話に乗ろうとするし、そこから発見があるのかもしれないから詳しく知りたいと思える。でも、物差しを持っていない人の話は退屈でしょうがないのです。
 僕が思う猫みたいな人っていうのは、自分の物差しで好きか嫌いかを判断できて、相手のことをあまり興味がない人のことを言うのかもしれません。
 趣味で出会った人たちもけっこうそういう気があったと思います。明確に自分の好き嫌いがあって、それ分かっているから僕のことも尊重してくれると考えています。
 逆に先程のような「世間スゴイ!」という人はこちらに押し付けてくることが多いのでそこで「みんなで尊重し合いましょう。」と言われても信用はないですね。
 逆説的かもしれませんが「物差しのある人は相手を尊重しやすい」というのは「物差しのない人は物差しを持っていないがゆえに尊重しない」ということになるだと思います。
 ですので、僕は猫みたいに好き嫌いをもっていってもいいのだと感じられました。

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