恋の始まりにベルは鳴らない
学校で教えていることのほとんどは役に立たないと思う。
数学、理科、社会はその専門の道に進む人は大人になってからも使うかも。
国語はに日本語を扱う土地で生きていくなら必要な気はする。
英語は日本で暮らす予定の人たちには基本必要ない。
学校で何を学んでいるか、と言われたら僕は「やれと言われたことをやる」ことだと結論付けている。
朝は決められた時間に学校に来なさい。チャイムが鳴ったら授業が始まります。放課後は部活に励み、家では授業中に出された宿題をやりなさい。
という具合に。
学生の本分は勉強ではなく課されたタスクを言われた通りこなすことだ。
いわば未来の社畜を育成しているのだ。
よく言われることでもあるが、学校で習ったことは社会では通用しないことが多い。例えばメイク。高校までは禁止されるのに高校を卒業した瞬間しないと常識がないとまでされる。
言われてからやるんじゃだめだ、とかもそう。
こっちは今まで言われたことをこなすしかやってこなかったんだって話なのだ。
大学生や社会人になると急に自主性が求められて困る。
大学となるとまだタスク消化の傾向は残っているが高校までのそれと比べると全然違うと思う。
そして、恋。これが一番難しいということに異論がある人はクソのたらし野郎確定なのでここで読むのをやめてほしい。
恋は、相手の気持ちがわからない。
今話していてこの人は楽しいのだろうか。この人は自分のことをどう思っているのだろうか。今笑ってくれているのは愛想笑いなのか。ご飯に誘ったのはどう受け取られたのか。
全部わからない。
学校に通っていた時のように、恋に始まりの合図があればどんなに気持ちが楽だっただろうか。
恋に教科書があって、イコールで「付き合う」に繋ぐことのできる式を立てることができれば恋で傷つくこともなかっただろうか。
国語で習ったように相手の心情が読み取れればラインの返信一つ一つに一喜一憂することもなかっただろうか。
そのすべて叶えば、本当に幸せだろうか。
それさえ分からない。
今できることは自分磨きくらいだろうか。
相手のことを考えても埒が明かない。
とりあえず僕は好きな子の隣を歩ける服でも買おうかと思う。
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