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踊らせる変態

サマソニで星野源を観た。


本当は裏のBlurを観るはずだったが、当日一緒に行くはずだったUKオタクの連れがコロナでソロ参加になったのと、午前中に観たNewJeansで体力が底をつきかけており(炎天下のMARINE STAGE地獄だった)、それならBEACH STAGEでゆったり星野源を観た方がいいと思ったのだ。


日中のBEACH STAGEも地獄だったが、日が落ちた海辺は気温も下がり風もあって気持ちが良かった。しかし、なんだか様子がおかしい。知ってるBEACH STAGEじゃない。そうか、狭いんだ。


サマソニ参加も数年ぶりだったのでステージを改修したのかと思ったが違った。なんてことはない、人が多すぎたのだ。後に入場制限になったことを知る。裏でBlurとYOASOBIがやってるのに恐ろしい男だ、星野源。


星野源前の松重豊、いやDJ豊豊のプレイが終わり、会場が熱気を帯び出す。後ろで待ってる女性ファンが「源ちゃ〜ん!」とまだ姿を表してないのに声を上げる。女性の声を「黄色い」と表現した人は天才だと思う。黄色かった。


バンドのリハも終わり主役の登場。赤いシャツを羽織って出てきた彼は、星野源だった。いや当たり前なんだけど、長年テレビやスマホで見てきた人が肉眼でリアルに現れるとそんなもんじゃないですか。正直な話、出てきて興奮したのはNewJeansの方だったけど。圧倒的に。内緒ね。


気になる一曲目。思わず「うおお!」と声をあげてしまった。『地獄でなぜ悪い』だ。おじさんの声を「野太い」と表現した人は天才だと思う。我ながら野太かった。


僕が星野源に初めて触れたのは音楽でも演技でもなく、本だった。『蘇える変態』という本。星野源が『GINZA』に連載していたエッセイをまとめたこの本は「おっぱい」からはじまる文字通り「変態」の本である。


おっぱいだけでなく、ちんこの話もある。僕も二歳になる息子にちんこの話をしては奥様に怒られるぐらいちんこの話が好きなので、そこで星野源に一気に親近感を抱いたわけである。


このnoteを読んだ人が本を「ちんこの本」と勘違いするといけないので念の為補足すると、彼の「生きづらさ」についてや、異常なまでの創作にかける思い、そして死の淵を彷徨ったくも膜下出血の闘病生活などが描かれている良い本です。医師からの励ましの言葉を受けるシーンで何度泣いたかわからない。


闘病生活において壮絶な痛みと孤独を味わい、彼は「生きることは地獄である」と結論を出す。こんなに痛く辛い思いをするなら死んでしまった方が楽だ。だから逆に「生きる」ことは地獄だと。



そして地獄を生きてるからこそ、人は幸せを感じることができる。飲み食いできない生活を生き抜いた先で味わったメロンの美味しさのように。



クソみたいなニュースが大量に流れてくる毎日で僕が正気を保ってられるのは彼のこのスタンスが一助となっている。




話は戻りライブの一曲目。『地獄でなぜ悪い』。

病室 夜が心をそろそろ蝕む
唸る隣の部屋が 開始の合図だ

いつも夢の中で 痛みから逃げてる
あの娘の裸とか 単純な温もりだけを
思い出す

無駄だ ここは元から楽しい地獄だ
生まれ落ちた時から 出口はないんだ

くう〜! と唸った。川平慈英である。いや、博多華丸である。たまんねえぜ! ありがとな星野源! 





ここからが問題である。サビにかかろうとした瞬間、嫌な感じがしたのだ。嫌な予感はすぐに確信になった。観客が手を上げ、皆同じ上下運動をはじめたのだ。



日本のライブでよくあるやつ。みんなで手を上げて上下に動かす動き。あれがめちゃくちゃ苦手です。最初に自覚したのは小学生の頃に家族で行ったミスチルのライブ。自分もやんなきゃいけないの? でもなんか恥かしくない? 恥ずかしがってやんない俺のことを見るんじゃねえ! 恥ずかしがりながらもやる俺のことも見るんじゃねえ! と若い頃特有の異次元の自意識の暴走があったように思う。



さすがに30を超えたおじさんとして自意識は落ち着いてきたが、やっぱりあの動きは慣れない。「恥ずかしい」と魂に刻まれてしまってる。


というわけで、あの動きをしている人を見るとすごく恥ずかしい気持ちになる(念の為書くけどその人たちがどうこうではない。僕の問題)。遠目で見るだけで恥ずかしくなるのに現場にいたもんだから「きええええええええええ!!!!」と叫びたい衝動に駆られた。恥ずかしの塊。藤原鎌足。


一曲目の途中だけどもうこれ以上はここにいられない。けど、せめて『地獄でなぜ悪い』だけは聴いて帰ろうと終わりまで聴き、退散をしようとしたところで星野源が「その手の動きやめて!みんなの自由な踊りが見たい!」と言ったもんだからひっくり返ってしまった。


もちろん本当にひっくり帰ったわけではないが、前に高身長の人が来て見えなくなってしまった星野源を「エッ…」と見つめた。驚きすぎた。見えずに知らない人の後頭部を見つめたわけだけど。頭部源。



よく考えると、彼が一番あのノリを好ましく思っていないはずだ。ディアンジェロを愛する彼が画一的な楽しみ方を許容できるはずがない。音楽はもっと自由だ。それにしても「その手の動きやめて!」で終わらずに、「みんなの自由な踊りが見たい!」と伝えたのはさすがすぎる。星野源、できすぎる。


一方言われた側。手を上げていた観客の中には「どうやって聴けば良いかわからない」といった人たちも多く見受けられた。それまでやってたことができなくなる。混乱するのもさもありなん。


ここで「あの動きをするのも自由なのでは?」という疑問も生まれたが、そういうことじゃないよな、と自分に一蹴された。その「自由」と、「自由に音楽を楽しむ」の「自由」は別物だ。「自由に楽しむ」とは「自分なりに楽しむ」ことであり、それは誰かの真似をすることじゃない。突き詰めるとそれは自分が何が好きでどんな望みがあるのか、つまり自分の「欲望」を知ることでもあるのではないか。


とそんなことをぼんやり考えていたら、隣で手を上げ「あの動き」をしていた男性客が手を下げ、視線を下げて左右に揺れだした。自分なりの楽しみ方を模索しだしたのだ。動きはぎこちなく、リズムとちょっとずれている。けど、その姿が狂おしいほどキュートで美しい光景だった。



ああそうか、星野源はこうやって一緒に地獄を生きる仲間を増やしているんだ。



Baby その色を変えていけ
星に近づいて
Hey J いつでもただ一人で
歌い踊り



僕が彼の本に感化されたように、音楽で人を自由にしているんだ。「君の声を聞かせて」と。誰かを自由にしたいなら強制ではなく娯楽で。と気づかせてくれたこのキュートなダンスと流れる『SUN』をずっと忘れずにいようと思う。



それにしても星野源、とんでもないウイルスだ。


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