公務員をやめたいと思ったきっかけと理由

こんにちは。
某広域自治体で行政職員をしているいろはすと申します。
詳しいプロフィールは別記事にしようと思っていますので更新したら、そちらをご覧ください。

本記事では、私が公務員を辞めたいと思ったきっかけや理由について、お話しさせていただければと思います。

私の担当している部署など

まず、本題に入る前に私の担当している部署について、簡単にお話しします。
私は現在、おおざっぱにいうと、【地方の社会減対策】を行う部署に所属しております。※身バレを防ぐため、ボヤかしています。
当該部署では、役所ではいわゆる【花形部署】と呼ばれる部署で、役所の中では華々しいかっこよさげな事業を行っています。
もともと(入庁当時や入庁後しばらくは)、私は少なからず自分の住んでいる地域が好きでもっと地域を良くしたいという思いから、今所属している部署を希望して異動させていただきました。(一応人事評価はよかったのかな?)
既に所属してから数年が経ちますが、いい意味でも非常に悪い意味でも学びがあったと感じています。
やっている事業や分野は非常に楽しく、学びとなる部分、考えさせられることも多くずっと携わっていたいなと思えるレベルで気に入っています。

一方で、私は仕事をしていく中で、小さな違和感から始まり、これから行政職員を続けていくことが可能だろうか?と思えるレベルでモチベーションが下がっていきました。

以下、本題の公務員をやめたいと思った理由などについて、お伝えしていきます。

目的と手段を履き違えた組織とそれに対する失望

配属されてから、まもなくは目の前の事業をこなすことに必死で違和感なく働いていきましたが、仕事に慣れ視野が広がっていくと同時に少しずつ少しずつですが、違和感が募っていきました。

まず、私の部署では、社会減対策のためにイベントなどの事業を行います。
※社会減対策とは・・地方の人口減を防ぐため、東京一極集中とならないよう地方にいる方を定着させたり、都市にいる人を地方へ還流させるような動きを促す対策のこと

ツイッターでもボヤきましたが、社会減対策の成果というものは非常に政策効果の検証が難しいです。
そもそも、社会減対策に限らず、行政の政策効果の検証というものは非常に難しいことが多いです。
そのため、結果として、地方住民や地方政治家等にわかりやすく、政策効果を「見せる」ため、しばしばイベントの開催数や参加人数、事業を利用した人の人数など、目的に対する直接的でない指標が用いられることがあります。(こういった指標のことはKPIといいます)
コレ自体が悪いことではありませんが、そこから派生することが地獄なのでした・・・

役所では、そういった指標の到達度を幹部や政治家にご説明することも多いです。
そのため、イベントの参加者数・開催数、事業の利用数を増やすことがある種、命題とされています。
とかく内部では、どうやって参加者数を増やそう?事業の利用率をよくしようなどばかりで、私からすれば非常に短絡的な議論としか思えなくなりました。
みんなとりあえず目の前の命題の解決に対し躍起になっていて、本来の目的からはかけ離れて、幹部や政治家などへの説明の材料探しや説明の見せ方、言い訳探ししかしていないのです。
私は、そこから少しずつ違和感を感じていきました。

「指標となっているものが右肩上がりとなって社会減対策になるの?」
「極端な話、イベントの参加者数が減っても、目的である社会減対策がうまくいっているなら万事OKじゃない?」

テーマのとおり、現場レベルでも、「目的と手段を履き違えた仕事のやり方」となっているのです。
政策効果の検証が難しいことを言い訳に、それっぽい指標を作り、それっぽい事業をやり、それっぽいことを地域住民や政治家に見せているだけなのです。
本来目的である「社会減対策」のことはすっかり忘れられ、内部だけの自己満足になっているとしか思えなくなってしまいました。
「社会減対策」のために、何をやれば効果的なのか?政策効果から今までやっていたこの事業は不要なのではないか?といった本質的な議論は一切ありません。
本当に「くだらない。」「税金の無駄」「組織の自己満足と茶番」

忖度まみれの組織と事業たち

私の所属である新規事業を行うこととなりました。
その事業は、現場からのボトムアップの事業ではなく、トップダウンの事業でした。私がその事業の内容を知った際は、「いや意味ないだろ、税金の無駄。」という所感でした。
しかしながら、トップダウンで降りてきた事業はそもそも、「実施する」という結論ありきで組織は動いていくのです。
また、その発案者に対し、「この事業はこういった観点から政策効果は薄いと考えられる」などといった説明はご法度なのです。

上記は、組織の発案者に対する忖度であり、組織として動いていくための一要素なのは理解しています。
しかしながら、そこでの議論を行わずに事業をやっていくことが本当に地域のためになるのでしょうか?

他にも象徴的な例を挙げさせていただきます。

あるKPIの数値があまり芳しくなかったことがありました。
その数値をトップ層に説明したくない幹部は、なんとか「それっぽい」数値にするように指示をし、末端職員は嘘ではないように都合のいいように数値の解釈を変えて「説明のしやすいそれっぽい数値」としました。そして、一応トップ層への説明は事なきを得?ました。

これでは、事業の政策効果の検証はさらに歪みを増していき、一度嘘をついてしまったら最後、組織は嘘をつき続けることになるのです。
さらには、トップ層は、都合のよい事実しか聞いていないため、危機感を持つことはありません。
そうして、組織は歪みに歪み、事業は税金の垂れ流しとなっていくのです。

これだけを聞いても、読んでいる方はいろいろと思うところはあると思うのですが、そもそもこういった数値の(ある意味での)捏造を行う職員の人件費もみなさんの税金なのです。

私は、本当に心から税金をいただいている皆さんに申し訳ないし、私自身も税金を納めているので、「なんなん。」という気持ちです。

そうしてモチベーションは失われていった・・・

私が辞めたいと思ったきっかけや理由は、以上となります。(本当はまだまだありますが、今日のところはここまでとします)
こういったことは、私の所属している役所だけではなく、他の役所でも国でも起こっているように思えます。

私は、公務員になるには、「真面目すぎた」「熱意を持ちすぎた」と感じています。

前述したようなことに耐えられる公務員に適正の持った人材とは
・思考停止・盲目的に上の言うことを聞くことができる
 そもそも論などには、興味がなく目の前のことだけをやる
・目の前の地域の方を救いたい(言い換えるならば、全体を俯瞰して考えることはない)
・とりあえず、公務員という身分があればいいし、特に熱意はない
といった人材であるように思えます。(職員募集のパンフに地域を良くしたい人材や熱量の高い人材を求めるとか書くんじゃねえw)

こんなクソくだらない組織や仕事が、巷から憧れられているという事実が本当になんともいえません。

私は公務員試験の受験勉強もそれなりに頑張ったし、入庁してからも高い熱量とモチベーションを持って仕事に取り組んできたと思っています。
しかしながら、こういった公務員の真実をありありと知ったことで絶望と過去の自分の努力はなんだったのだろうという虚無感しかありません。

一言でいうと、本当に組織には残念だし「悲しい」としか思えません。
(どこの行政組織も本質は同じだと思います)
今までもこれからもこんな虚しい仕事をしていくと思うと、涙が出そうになります。

これからの自分のキャリアには、本当に困っています。
今後の自分のキャリアや身の振り方などについては、別記事にしようかな。
また、私が思う適正な行政組織のあり方についても、書いてみたいと思っています。

これから公務員になろうと言う方や自分の子供を公務員にしたいと思っている親などにこの記事が届くといいなと思います。

今日はここまでとさせていただきます。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。




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