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自分に酔う

 日曜日早朝、ベーカリーに行った。20年以上通っている旧知のベーカリーで、開店時間は午前6時半だが、ずっと日曜日は定休日だ。クロワッサンが物凄く美味しい。
 「日曜日の朝、焼き立てのクロワッサンとカフェオレ、ベランダで文庫本片手にゆったりと朝食を摂る、わたし」というビジョンに酔って、判断を誤った。店の前で口を開け、引き返し、コンビニで餡パンを買って帰った。空腹は嫌だ。

 ある日、わたしも「投資」を始めようと考えた。
 アメリカの市場が下がると日本の市場も下がる、アメリカのダウ平均が上がれば日経平均も上がることが多い。時差を利用し、アメリカの市場の動向を日本の日経平均の予想ととらえ、日経が上がるとわかっていれば自分の株を売って利益を確定し、日経が下がるとわかっていれば、逆張りをすればいいのではないかと思いつく。なんか凄くいいアイデアに思えた。流石に先ずは本当にそうかどうか、データーを確かめようと考えた。
 数日たって我に返った。自分が考えるようなことは誰でも考え、もしほんの少しでも儲ける可能性があるなら、とっくに皆がやっていて、その果実がわたしに残っているわけはないと。
 今はオンライン証券に口座を開き、僅かな金額を、一番オーソドックスな大変詰まらない方法で投資して、投資していることを忘れようと努めている。ボケるのが先かもしれない。

 自分に酔うと、失敗の可能性が高まる。足元を見ないで、非常に狭く足場の悪い尾根道を、スキップしながら進んでいくようなものだ。
 一方、ある程度自分に酔って調子にのって動き出すのも、悪い事ではない。兎も角やってみなければ何も始まらないからだ。

 わたしは高所恐怖症なので絶対できないが、綱渡りをしている人は、ただ足元を見ているわけではないようだ。危険を知りつつ、ある程度のリスクを冒して、目線を先にして進んでいるように見える。

 「自分に酔うこと」と、「動機」・「集中」・「夢中」の違いはどこにあるのだろうか。

 それぞれの人の答えがあるのだろう。
 わたしは自分の答えを探している。


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