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14歳でドイツ人学校に放り込む その1

このnote記事には、火付け役がある。
tommie116@ベルリン様の下記の記事だ。
外国勤務の帯同の子供として、外国の現地校に行ったご経験とその後を、母語と習熟を強制された言語との関係性を軸に、詳細かつ明快に表現された素晴らしい記事だ。

さて、わたしは母子家庭の単独稼ぎ手として、子供帯同で、ドイツに出向し、子供を住んでいた都市の日本人学校に小学五年生で入れた。
ある年の冬、子供が中学二年(日本人学校)を終えて日本に帰国し、元の職場に戻り、中三を日本の高校受験のための準備期間として過ごす予定だったので、住居学校その他諸々の全ての契約の解除を各方面に書類で申し出て、承認された。
そして、引っ越し荷物を纏めている最中に、いきなり日本の元の職場部門がまるっとリストラで無くなり、馘首を言い渡され、梯子を外された形になった。
その時、出向勤務先のドイツの研究所が、現地採用者(出向者としての金銭を含めた特権はすべて無くなる)として拾ってくれた経験を持つ。
働いているドイツの都市の日本人学校は中三までで、日本語でのそれ以上の高等教育機関はない。
お金に糸目をつけなければ、別の方法はあったが、経済的待遇が悪くなる中、子供の大学までの学費を見据えたら、ここでは糸目をつけざるを得ない。
50代で日本に帰国して無職になる方が、もっと子供の可能性を潰すだろうという、弟二人(当時別々の県の現役高校教師)の同意見の真摯なアドヴァイスもあり、悩みに悩んだ末、ドイツ語が全くできない子供を、14歳で現地のドイツ人学校に突っ込んだ。
つまり、全く予想外且つやむを得ず、子供を、無理矢理いきなり出来ない外国語の学校に強制的に入れる親になったのだ。

こんな酷い状況に遭遇する日本人の方は多くないだろうとは思う。
しかし、世界は広いので、当時の状況と対処について記して、もしかしたら、誰かの参考になるかもしれないという微かな願いを持って、書くことにした。
まあ、何よりも、自分のカタルシスのためだが…。

思考の言語化能力に劣り、往々にしてダラダラと書いてしまうので、続き物の最初に要約をつける。
強く、くどい表現をご容赦願いたい。
この件に関する傷が深く、冷静に書くことが出来ないのだなと寛容なお心で読んで頂ければと、切望する。

要約

  1. 放り込まれた瞬間は、実技(例えばスポーツや美術の創作)以外の子供のパフォーマンスは零になる。

  2. 子供がぺっしゃんこになっても、不安まみれでも、拒否的態度をとっても、全て当然の反応として受け止め、子供の能力を客観的に見極め、ひたすら支え続ける。

  3. 学校以外でも、ありとあらゆる手段(その国の家庭教師をつける、休暇中にはプライベイト語学コースに行かせる、副読本の翻訳を何としても手に入れる、親が出来る教科は母語で予め知識を授ける等)で追加の語学上達と多少でも自己達成感を目指す。

  4. 子供の通学する学校を訪問できる機会には全て顔を出し、親自ら、教師に対して、現地語上達、学業向上に関する家庭のサポートを全力でしていること、つまり教育の価値を重視していることを、言葉を尽くしてデモンストレーションし、現地の教師の共感獲得に努める。

  5. 母語で通っていた学校でのパフォーマンスより上のパフォーマンスは出ないばかりでなく、かなりの努力をしても、母語で達していた学業のパフォーマンスより低い結果しか出ないことを、親子とも覚悟する。

  6. 進級・どの方向の学校を選ぶか等々、全ての段階で、戦略的に考え、子供に利することだけを考え行動する。その際には、子供自身も戦略を共に考え、自分の利益の可能性を完全に理解し、納得していることが、不可欠。

  7. 役所との面談、家庭教師との面接、追加教材の質の判断、学校との面談、必要と思われる手段の検索や選抜。これら全ては現地語でしか手に入らない。つまり親が現地語を駆使できること、現地の人のメンタリティーを理解していることが必要。

  8. 子供には大変きつい経験であることは間違いないが、親も子供が苦しむことで、動揺する。どんな経験も、糧とするのか、忘れたい程の黒歴史とするのかは、それぞれの人のキャパによる。それでも、個人的に正直に言えば、子にも親にも、お勧めできるような道ではない。

では、始めよう。


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