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「窮鼠はチーズの夢を見る」をアラサー女子が見た感想


こんにちは。
27歳アラサー女子のりさです。

9月11日公開になった「窮鼠はチーズの夢を見る」公開日に見てきたので、感想を書いていこうと思っています。
ちなみに、興奮してしまって公開日の朝一とナイトショー2回見ています。

感想を書く上で、ネタバレを書いてしまうのは間違いないので、ネタバレを見たくない人はここで読むのをやめてくださいね。


「窮鼠はチーズの夢を見る」

この映画、本当によかった。
「まじで楽しかった!」というより、言葉では説明しきれない感情になる映画だった。
言葉で説明しれない感情を見つけるために、何度も見たいと思うし、大倉君と成田君の美しい身体をまた見たいと思う。

ここまで、書いてきたがあらためて、
「窮鼠はチーズの夢を見る」とは、どんな映画というかというと、恋愛対象が男性の今ヶ瀬渉と恋愛対象が女性の大伴恭一の恋愛映画である。
水城せとなさんの「窮鼠はチーズの夢を見る」と「俎上の鯉は二度跳ねる」の漫画が原作になっている。
ちなみに、私は原作を10回以上読んでから、映画を見た。

それでは、早速感想を書いていこう。感想と言っても、私が感じたことだけをだらだら書いていく。


ラストの濡れ場が最高すぎた

この映画は、R15ということで、濡れ場が多い。原作も2人の性の描写がたくさんあるのが特徴である。
いくつかある濡れ場の中でも、今ヶ瀬と恭一のラストの濡れ場は、愛にあふれすぎてて最高だった。

恭一が初めて(映画の描写的には)、タチになるのだが、恭一の覚悟を感じた。それまでは、男性と恋愛することに抵抗を少なからず感じていたはずだが、この時の恭一には迷いがなかった。
今ヶ瀬を心から愛すると決めた恭一の気持ちが見える気がした。

2人の空間は、本当に尊くて、「あ~本当にお互いに愛しあっているんだな」って思いながら見ていた。
今ヶ瀬と恭一を見ていると、あんな風に本気で人のことを愛したいと思うし、愛されたいと誰もが思うのではないかな~。

個人的には、恭一(大倉くん)の腕の太さと今ヶ瀬(成田くん)の細さの違いが、とてもよかった。
あの2人の空間は、男性と女性の恋愛映画ではなかなか描けない、尊さと愛し合う気持ちを感じられた。


映画はセリフが少ない

原作の漫画を読んだことがある人は、わかると思うが、漫画は、セリフによって登場人物の心情や雰囲気が描かれている。私は普段漫画を読まないので、普通の漫画がそうなっているかはわからないが、「窮鼠はチーズの夢を見る」の漫画はセリフが多いと感じていた。

しかし、映画の中で話されるセリフは、本当に少ない。後撮りの心の声もない。あるのは、少しの言葉と背景から感じられる雰囲気のみだ。
それが、とても不思議な気持ちになった。
漫画を読んでいる私は、「あーここって恭一はこうやって思っているんだよな」なんて考えていたが、原作を読まずに見た人は何を思ったのだろうか。
とても気になる。

セリフが少ないからこそ、役者の表情や背景、小物、間などによって、言葉にならない気持ちを表現しているのが特徴だった。


BGMも少ない

「窮鼠はチーズの夢を見る」は、BGMが極端に少ない。(と私は感じたが実際はどうなのだろうか?)
BGMが少ないから、生活音が流れていたり、セリフ以外の音が聞こえない場面が多い。だからこそ、映画に引き込まれえる。

BGMがないからこそ、恭一と今ヶ瀬のやり取り、空間をより近い場所で見ている気持ちになる。
映画として見ているのではなく、その場で見ている気持ちになるのだ。
BGMの少なさも、2人の尊さを強調させる要因だったのかもしれない。


恭一の表情の変化にびっくり

恭一はもともと恋愛対象が女性であり、映画の冒頭では結婚していてかわいい奥さんがいる。この女性が恋愛対象が女性の恭一であるが、女性といる時と今ヶ瀬といる時では、表情が全く違う。
女性といる時の恭一は、まさに理想の男性である。顔がずっと優しくて、こういう男性が身近にいたら、イチコロだろうな~という感じがある。
だからこそ、モテるし浮気もしてしまうんだろう。

しかし、今ヶ瀬といる時の恭一は、「リアルな恭一」という感じがする。嫌なことはイヤというし、無理に相手に合わせようとはしない。素の恭一である。

ぜひ、これから見る人、もう一回見る人は、恭一の表情に注目してほしい。全く違う表情をしているから。
女の子といる時の恭一は、ずるい。あんなに優しい表情で、優しい言葉をかけてくれたら、すぐに好きになるに決まっている。「あー恭一って人たらしだよな」なんて思いながら見ていた。

今ヶ瀬の前では、素の恭一だとすると、時々本気で楽しそうな表情をしたり、愛おしそうな表情をしたりすると、ドキッとしてしまう。その表情から恭一の今ヶ瀬に対する気持ちの変化を楽しめるはずだ。


なぜ恭一はゲイバーに行ったのか

映画を見て、1つ疑問が残った。
今ヶ瀬と別れたあと、恭一はゲイバーに一人で行く。この行為の意味がわからなかった。
原作にもゲイバーに行く描写はなかったはず。だから余計にわからないかった。

ゲイバーに行ったのは、今ヶ瀬を探しに行ったのか、それとも自分自身の恋愛対象は男性に変わってしまったことを確認しに行ったのか、それとも別の理由があったのかわかならなかった。

あの涙の理由は?何?

もう一度今ヶ瀬に会いたいと強く思ったから?男性を好きになるには、覚悟が必要だと思ったから?
考えても考えても私にはわからなかった。

ぜひ、見た人はあの場面で伝えたかったことは何か、教えてほしい。

もう一回は見たい

「窮鼠はチーズの夢を見る」一度は、延期になってしまい、私の気持ちは「ああああああ」となってしまっていたが、今回無事に公開になって本当によかった。

映画の内容には関係ないが、1席おきに座れる現状は、ああいう映画を見るのには、最高だ。
ぶったけ、隣に人がいたら結構きまずい。

とりあえず、もう一回は映画館で見ようと思うし、DVDになったら購入してゆっくり見ようかと思う。
恋愛映画を見るといつも思うが、恋愛っていいね。あんな風に真剣になれる恋愛1回くらいはしてみたい。ん~あそこまで恋愛に入り込みすぎると、生きるのが大変になるか。

ということで、今回は終わりにします。


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