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お念仏と読書#10『ソラニン』と苦しみの原因


今回はマンガ、浅野いにおさん著『ソラニン』を読んで、私たちの抱える根本の苦悩の根源には何があるのかを、仏法に聞いていきたいと思います。

1.あらすじ


主人公の入社2年目OLの芽衣子は、仕事にやりがいが持てず、上司との関係も悪く、死んだように生きている自分に嫌気がさし、会社に行きたくなくなります。

そのような時、バンドを通じて出会い、大学時代から付き合って同棲している彼氏、種田から「辞めちゃいなよ。本当に芽衣子がそうしたいなら。」と嬉しい言葉をもらいます。

「たとえ誰かに馬鹿にされたり、将来が真っ暗で、見えなくなったり、行きつく先が世界の果てだったとしても、芽衣子と俺は一緒なんだから。」と聞き、芽衣子は退社を決意するのです。

種田は音楽の夢をあきらめきれず、アルバイトをしながら、学生時代の仲間とバンド活動を続けています。
種田は芽衣子には、かっこよく頼もしい言葉を伝えながらも、バンドで果たして自分は成功できるのかと悩み、次第に焦りが出てきて、夢を諦めて職に就こうかとも思っています。
また、初めから分かっていたことでもあるのですが、芽衣子が仕事を辞めたことで経済面でも次第に困窮していきます。
芽衣子の存在をプレッシャーに感じるようにもなるのです。

二人の生活は最初は自由で気楽で、ゆるく幸せな日々でしたが、必ず終わりを迎えることが分かってしまってもいる刹那的なものでした。

そして、芽衣子はある時、煮え切らず音楽で勝負をかけない種田に対して不満を爆発させるのです。

「種田は誰かに批判されんのが怖いんだ!!大好きな大好きな音楽でさ!!」
「でも褒められても、けなされても、評価されてはじめて価値が出るんじゃん!?」

しかし、それはそのまま芽衣子の今の自分を否定する言葉でした。

芽衣子は社会人として誰かに批判され、評価される職場にいたのですが、そこからドロップアウトしました。自由で気楽に見える種田の生活にあこがれて、その種田との生活を選んだのです。
そうした自分であるにも関わらず、「社会に出ようとしない」不安や不満も種田にぶつけてしまうのです。言っていることとやっていることが違い、自己矛盾を抱えています。

自分の理想や願いの先には、幸せどころか、不安しかなかったのです。
また、もの凄く惹かれ合い、愛し合う者でありながら、お互いがお互いに自分の不安を見てしまうのです。
種田と芽衣子はどのような決断をするのか、この後は衝撃的な展開です。未読な方はぜひとも!

2.タイトル『ソラニン』とは何か


私は最初読んだ時には私も若く、それこそ青春期の終わり特有の不安や切なさを描いた作品ではないかと感傷的になったのですが、今読むと普遍的な私たちの苦悩が表されていると強く感じました。

ポイントは、作品のタイトル『ソラニン』です。

ウィキペディアには、作者浅野いにおさんが仰ったであろう、タイトルの由来が載っています。

タイトルの「ソラニン」は、作者が当時交際していた彼女が「アジカンの新しいアルバム、ソラニンって言うんだって」という一言がきっかけ。ただし、実際に出たのは『ソルファ』である。「ソラニン」の音感が気に入ったのと、意味を調べたらじゃかいもの芽の毒のことであったことも気に入りタイトルにした。 
                                                                                                wikipediaより

また、本の巻頭にはこう書かれています。

ソラニン【solanine】
ナス科植物に含まれるアルカロイド配糖体。
ジャガイモの新芽に多く含まれる。
苦みがあり有毒で、腹痛・めまいなどの中毒症状を起こす。

作中には、種田が失踪して落ち込む芽衣子の部屋のキッチンから出てきた、長く芽が伸びたジャガイモが描かれています。

3.ジャガイモは毒があるからジャガイモ


ソラニンとはジャガイモの芽に含まれている毒のことです。
ジャガイモは、時が経てば必ず芽が出てきます。
その芽は調理する時に取り除かなければなりません。毒が含まれているからです。
しかし、毒のある芽があるからこそ花が咲き、また次のジャガイモのいのちへと繋がっていくのです。
また、毒を除こうとしたらどうなるかといえば、ソラニンがなければ芽は出ません。花を咲かすことも、次のジャガイモを生み出すことも出来ません。そもそもソラニンという成分がなかったら、ジャガイモそのものが存在しなくなります。

4.私には欲という毒があるから私。だから苦しみが生まれる


実は私たちの身にも毒があると仏教では説かれるのです。それを「三毒の煩悩」と言います。

「ソラニン」とは仏教で説かれる「三毒の煩悩」の中の「貪欲」という毒のことではないかと私は思いました。

三毒の煩悩とは、こうなって欲しいと願う心「貪欲」、それが満たされず腹が立つ瞋りの心「瞋恚」。そしてその根底にあるのが自らの思いを中心としていかざるをえない心「愚痴」の三つの毒のことです。


5.仏教で説かれる「苦しみ」=「人生」


仏教を開かれたお釈迦様は「人生は苦なり」とおっしゃいました。
「人生楽ありゃ苦もあるさ」と歌にはありますが、仏教ではそうは説かれないのです。人間存在そのものが苦であると言われるのです。

その苦しみは「思うようにならない」という意味です。その原因は「思うようにしたい」という毒、「欲の心」にあるとお釈迦様は見抜かれたのです。

仏法を聞くとそれが自分の身にみちみちていると知らされます。その毒があるからこそ、自分や相手を苦しみ悩ませ、傷つけるのです。

そもそも主人公の名前、「芽衣子」、「種田」という名前自体がジャガイモの「芽」と「種芋」つまり「ソラニン」毒を表しています。

それは「思うようにしたい」という心を持たずには生きていくことができない、しかしそれによってどこまでも「思うようにならない」という決して逃れられない矛盾の苦しみを抱えた私達、一人一人を表しているのだと思います。

6.『ソラニン』の歌詞に見る苦しみの根源


「思うようにしたい」のに「思うようにいかない」という苦しみの根源は浅野いにおさん作詞で、作中では種田が作った中での最高傑作『ソラニン』の歌詞に端的に表されています。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんが曲をつけられています。物語の核になる歌です。
https://www.youtube.com/watch?v=XNURRmk8YrQ

たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

この歌詞はたった3行ですが、作品に描かれる種田と芽衣子が出あった人生の全てが、そして私たちの苦しみの人生全てが描かれています。

芽衣子と種田との緩い幸せの日々が続いたとして、しかしそれで幸せになるかというと決してそうではない。必ずまた自ら「こうでありたい」と願い、種田に「こうであってほしい」と願うのです。悪い芽を出してしまうのです。
いや、それは希望の芽であり、生きる力でもあるのですが、突き詰めれば「思うようにしたい」という欲です。

その芽は必ず、自分の中の別の芽とぶつかり「本当にこの選択で良かったか?」と不安を生みます。
また、他者(たとえ愛するものであったとしても)の芽ともぶつかって傷つけあってしまうのです。種田も同じなのです。

そして気づいた時には、人生あっという間で「さよなら」なんだと知らせてくれる歌だったのです。

7.まとめ 物語の根底に鳴り響く『ソラニン』

なぜ『ソラニン』がこれほどまでに私たちの心を打つのかというと、私の苦しみの根源を教えてくれていたのだと思いました。

苦しみの根源は、「思うようにしたい」という欲の毒の煩悩です。しかし、それなくして私達は生きていくことはできません。
ソラニンがなければ、そもそもジャガイモ自体がなくなるように、三毒の煩悩がなくなれば、私の存在そのものがこの世から消滅するからです。

そしてお釈迦様は、その生きている限り煩悩の身である私達こそ、救わずにはおられないと願いを起こされたのがアミダという仏さまなのだと知らせてくださっているのです。

この歌が種田から芽衣子にバトンのように渡されます。常にこの歌がこの作品の根底に流れていると思います。
また、それは今を生きている私達のそれぞれの人生の物語にも鳴り響いているのではないでしょうか。
「苦しみの根源はここにあるんだよ!」と。

そして「だからこそ仏様のおみのりを聞かせていただこうよ!」という促しのようにも感じました。

最後までお読みくださってありがとうございました。南無阿弥陀仏。


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