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おぼえている言葉・宗光(そうこう)語録。

母は茶道を教えていました。宗偏流なので宗光といいます。
お弟子さんたちに、そしてボクにいろんなことを
わかりやすく教えてくれました。

母としての、茶道経験者としての言葉をつづります。

「うどんこ」
子供の頃に「あなたはどこの子」と聞かれたとき
「うどん屋の子」と言えなかったからと言ってました。

「カチンコ玉は強かったわよ」
ビー玉で遊ぶ遊びらしいです、よくわかりませんでした。

「月謝は2倍だったけど、おぼえるのも2倍だったわよ」
茶道を習ったときに、師匠から週に2回来なさいと言われ
従ったそうです。若くして教えられるようになったのも
茶道に対する情熱がハンパなかったからでしょう。

「一生、蕎麦屋の娘で終わりたくなかった」
母を物語る言葉です。そんなふうな考え方をしてましたよ。

「大師会・光悦会・・・」
よく言ってました。日本の2大茶会のことです。
「弘法大師」「本阿弥光悦」のお二人をしのぶお茶会のことです。

「時間とお金がもったいない」
駅まであるいて10分の距離の我が家。
バスに乗ることについて母は、このように考えていました。

「かぼちゃになっちゃう」
24時までに寝ると公言した母、シンデレラからの引用。

「ケセラセラ」
やるだけのことをしたらあとは・・・。この言葉もよく言ってました。

・・・ボクに向けての言葉。

「大器晩成の相が出ていた」
ボクが幼い頃、占ってもらったときに言われたといってました。
現在においても、晩成してるかは不明ですが・・・。

「東京なら何でも1流のものが見れたのに・・・」
わずか3ヶ月で、離職し帰郷したボクに言った言葉です。
せっかく公務員になったのに、悔しさも含まれていたのでしょう。

「3千円くらいにしときなさい」
ハマりだすといつまでも続けるボクに対しての言葉。
パチンコのときに言われました。

「あと銭が入ると、わかってから使いなさい」
そんなふうに、考えてお金を使えということが言いたかったようです。

「あしたがある」
ファミコンにハマってた頃に言われました。
たしかにそうです。後になって理解できました。

「6時に起きたいなら、枕を6回たたいて寝なさい」
どこかでも、同じ事を聞いたおぼえがあります。
気持ちの問題なのでしょうね、きっと。


・・・いま現在も実行してることについての言葉。
「畳は、めにそって掃きなさい」
そうしないときれいに掃けないらしい。

「米のとぎ汁をつかうとよい」
花に水をあげるときには、そうしたら元気になるそうです。
庭・裏庭の花にそうしてました、重たいのに・・・

「2時までには取り込まないと・・・」
洗濯物についてです。実行できていません。

「四角におきなさい・中高に・・・」
物をかたずけるときは四角にきれいに置く。
中高には、料理の盛り付けのときにも使います。

「外出する前には、部屋をかたずける」
外出したあと、死んで帰るかもしれないからと・・・
ひとり暮らしゆえ、それもあるなと思います。

・・・睡眠薬にお世話になってたときには。
「目をつむって、暗いところに横になっていれば眠れる」
「暗くなったら寝て朝になったら起きる、そうなっている」
これらの言葉のおかげで、睡眠薬なしでねられるようになりました。


・・・人生の後期に母が言ってた言葉。
「私はお茶ばかりやっていて、あなたのことを少しも考えていなかった」
そんなことなかったよ。

「早くおばあちゃんのところへ行きたい」
・・・ごめん馬鹿息子で。

「XX先生×?」
認知症になり老人ホームで暮らすようになった母がよく言ってた言葉。
ホームでの生活を「お茶会」と勘違いしてた母の言葉。

「首が痛い」
ホームに入る前からよく言ってた言葉。
何をしても治らなかった。
母が危篤になり、ホームに駆けつけたが手遅れだった。
そのときの母は、首を上に伸ばし「苦しい」と言いたいような
姿勢で絶命していた。



ボクの記憶から、これらの言葉は消えないでしょう。

最後に母が詠んだ短歌も書いておきます。
雑誌で優秀作に選ばれ、掲載されました。
ボクがラジオに始めてメッセージを送ったのは川柳です。
短歌は作れないけど、母の血を受け継いでいるならと・・・


「若き日に・心よせたる人の名を・訃報の欄に見たる真夏日」

戦争のあと、帰らぬ人を待ちわびていたけど・・・という句です。
ボクの川柳など比べ物にもならないできのよさです。



ボクは母を越えられないでしょう・・・




ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。