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おとぎ話とは違って…。

小学生の頃に父親とキャッチボールをしたことがあった。

左手でしかボールを投げられないからと、右手にグローブをはめて父からのボールを受けようとしたが、速くて逃げてしまったから「もうダメだ」の一言を残してキャッチボールは終了した。

それ以来キャッチボールをすることもなくなったのでした。

ボクの右手指の形状をしっかりと知っていたなら、左手にグローブをはめさせて、投げる時にグローブを外して投げさせればよかったのだと、今でも思う。

そうしていたメジャーリーガーの投手もいたからだ。

右手にはめてもグローブの開閉すら、まともにできなかったのだから…。

ハローワークへと行ってきて、帰りに求人票をもらってきて「この仕事はどんなことをするの?」と父に聞いても「おまえの指ではできない」を繰り返すばかりで、ただでさえ仕事に就くことが難しいのに「やる気まで失わせるようなこと」を平気で言うのでした。

でも、たまに模写した物を父に見せると「漫画家になればよい!」ということまで言う極端な性格でした。

それが統合失調症を患っていた人にとっては、当然のことだったのかもしれませんが、子供の立場としては「厄介な父親のもとに生まれてしまった!」と思わざるを得なかったのでした。

母親は母親で「結婚式などのような人の集まる所で、綺麗な字を書けるように!」と願って、小学校一年生の時に書道教室へ通わせたけど、ボクは他人に奇形な右手を見せると緊張して、実力の半分も出せなくなるのです。

そして、いつか母が言いましたが「あなたは障害者のような顔をしていないから、右手をポケットに入れていなさい。障害者とは分からないから!」ということも言いました。

両親からのアドバイス?を聞き入れたボクは仕事にも就けなくて「ただ飯」を食らって遊んでいることが当たり前になっていったのです。

両親とも、本当にボクのことを考えてのアドバイスをしたのでしょうか?

書道準3段・珠算2級、おまけに模写も人並み以上に描けることは、知らないハズではなかったと思うのに…です。

やれと言われたことには、全力で取り組む姿勢はあったのに、過去のことか?


母は「昭和の家庭だから、父親の言い分は絶対だ!」と言ったことがあります。

「お父さんとお母さんの性格が逆になっていたらよかったのにね。」とも言いました。

一番しっかりしていたと思われていた母親が丸裸で、バスタオルを身体にかけた状態で、しあわせそうな顔で気を失っていた時から、運命の歯車が最悪な方へと動きはじめたようでした。

次の朝から母は、まだらボケになってしまったのです。


父親の言うことに対し何も反論もせず従った母がボケたことで、ボクに責任がのしかかってきました。

茶道のお弟子さんが集まり、今までとは違う形で交流をはかろうと案を出してくれたのに、母は「今までと同じ金額の月謝がもらいたい」と譲らなかったから、お弟子さんは2度と我が家を訪れることもなくなってしまいました。

知り合いの所に数分間の間に20回も電話をしたり、お好み焼きを作ろうとしてガスの元栓にホースを繋いだけど弛すぎて、元栓から火が吹き出したり、と母親につきっきりでないといけなくなり、下の世話が男2人ではできないからということで特別養護老人ホームに入ってもらうことにしました。

父親は食事の支度をボクに任せっきりで、自分の食べる分が並ぶとボクの分を用意する前に食べ出してしまい、それに腹をたてたボクはろくに食事も摂らず、歯も磨かなくなり、現在のように歯科医へと通わねばならなくなりました。

そして「引っ越ししてくれ」と地主から言われ、引っ越し先を見つけた後に、父の勇み足で父は首から下を自分の意思で動かせなくなり、即入院しました。

そして病院でも看護師さんが、手取り足取りで言うことを聞いてくれないことに腹をたてた父は「いじめられている」とボクに泣きついてきたのでした。

それ以降のことは書かずにおきますが「どれだけ苦しめたら気が済むんだよ」と両親には言いたいのです。


「やれと言われたことは、できる限りやってきたよ。」

ただ1つやれなかったのは、母親が言っていた「早く結婚しなさい」の1つだけだったよ。

でもさ「おまえと同じのが生まれるのがいやだったから」という父からの言葉で恋愛禁止を決意したボクはバカだったよね…高齢出産ゆえに障害をもって生まれたことを知ったのは、かなり年齢を重ねてからのことだったから…!


職業上、いろんな人を見たり聞いたりしてきた母だから、こうなることもお見通しだったのですか?


桃太郎みたいにおじいさんとおばあさんに誉められることもなく、二人は死んでいってしまいました…とさ。

母親がよく言っていた「得手に帆を揚げ…」ではないけど「障害があってもできる仕事を探してきてくれればよかったんじゃない」とつくづく思います。


あなたたちには理解できないだろうけど、日常生活で右手を隠していることを続けるだけでも、案外しんどいことなんですよ。

コンビニなどのレジでお金を払う時にも、できるだけ右手を見せないようにしてしまうクセがついたのだから…!

これからどうなっていくのだろう。


両親がみんなから慕われていたからとはいえ、ボクはそういうタイプではないからなあ。


長くなったから、終わりにします。


ボクの書く記事は似た内容の記事が多くて、すみませんです。





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