見出し画像

縁あって、出逢って

中学生時代は思い切り割愛しましたが。
仲良くなった仲間は、その後、名だたる進学校へ。
一方、転校した自分は内申が取れず、フリーダムな学校へ。

高校一年時で進学先は決めていた。その後の就職先も決めていた。

目標が決まったら真っしぐら。単純と言う言葉がピッタリだった。そこで、美術の教員である、エモヤンに出逢う事になる。

『動物のお医者さん』佐々木倫子 著 の漆原教授を実写版にしたようなオジサンだった。※チョビとミケがいないのが大変心残りである。

美術室には四方にバリで調達したと言うお面が飾られていた。これが結構、個性的なお面で自分は何とも思わなかったが、エモヤン曰く、美術の選択授業でこれ以上、生徒が入って来ないよう飾っているって事だった。定員の35名クラス満席が続いたらエモヤン自体が登校拒否したくなると嘆いていた。

そのために、彼は策を考えて翌年選択授業の生徒を減らすために、創作している最中、ずっと教壇で学校にまつわる怪談話を独り続けていた。同じ怪談話を1年の間に5回は聞いたと思う。サイクルが決まっていた。体育館の話、プールの話、古い倉庫の話、3階のトイレの話、そして美術室の話、宿直室の話、閉鎖された新校舎の話。

今は、新しく校舎も建て直されて、設備も綺麗になっている。

『いいかー、お前ら、俺は絶対3以上の成績はまず付けないからな。それと、期日を守れない奴は次の選択はさせない』

最初から喧嘩腰で始まった選択授業だったが、全国美術学生コンクールなるもので、自分が入選を果たした辺りから風向きが変わっていった。

しかし、本人に断りなく勝手にコンクールにエモヤンが出したらしかった。結局、何で賞を取ったのか未だに知らない。賞状だけある。変な話だ。

『君は凄く美術が好きなのね』と。外で風景画を描いていた時だった、振り向いたら一度も話したことがない先生から声を掛けられた。髪が腰まであって、フリルのついたリネン系のワンピースに太い眉。武田久美子か青田典子を思い出させる容姿の人だ。『美大に行くの?』それ以前に、ともかく、あのエモヤンから点をふんだくらねばならんのだよ。推薦枠に入れないとなると合格率も下がるし…先生は何やらお話ししていたが、エモヤンが猛スピードでこちらへやって来る。『何話してるんだよ?お前、また機嫌の悪そうな顔して、なんだ?』ひょっとして、エモヤン、先生のこと好きなのか?どっか行って、2人とも。気が散る。

眉間に皺を寄せて、アクリル絵の具を手に先生が居なくなったのを見計らって、エモヤンに言った。

「チャック」

エモヤンの社会の窓から黄緑のパンツが覗いていた。

『バカ!お前、もっと早く教えろよ!』

「先生がいたから言うに言えなかったんだよ、配慮ってヤツだ」

エモヤンは、まあ、確かにそれもそうか、と。恥ずかしいなぁと呟きながら横に座った。

『そういや、先生も、高橋先生も仰ってたが、お前さ美術大学行くの?ならもう少し真面目に見てやるし、美術の塾があるから通わないか?』

「考えとく」

その日の夜、美大の学費を見て、こりゃ無理だ。直ぐに諦めた事は覚えてる。エモヤンは生きてれば、70歳近い爺さんになってるはずだ。海岸沿いのマンションに住み悠々自適な独身ライフを謳歌し、時々バリ島でお面を被りビーチで過ごすのが好きな親父だった。アクリル絵の具やペンキを使って個展のゲートを作る手伝いもよくした。元気かなぁと、たまに思うが、あれだけ好き勝手に生きてれば長生きしてる事だろう。このnoteを見ていたら、また勝手に人の事書きやがって、と、きっと笑っているに違いない。

エモ先、お元気ですか?
あのあと、絶対無理、絶対不可能と
職員室でご宣言頂きました国家試験に合格して
それを見せるために、わざわざ出向いた時、スゲーなと一言
仰っておられましたね。プライドの高いエモ先からの言葉は
コンクールで入選した時よりも、余りあるほど嬉しい一言でしたよ。

弟子は師匠を超えてなんぼでしょ。

​エモ先とはノミかカンナかの刃物のような応酬合戦でしたが
退屈な学生時代を、華やかに彩る絵の具のようなワンシーンでした。​
あのお面、自分は結構気に入ってましたよ。​






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?