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かわらないことからかわることへ

かわらないものの安心感ってすごいと思う。

経験、考え、人。

貫いてるかっこいい生き様の職人とか歴史や場所にロマンを感じるわたしは、かわらないものに美徳を感じる。


ではかわることは?


社会人になり経験を積み上げていくことと比例して一貫性がなくコロコロ意見をかえる人になぜかもやもやを抱くようになった。


なぜ??


それはたぶんわたしの場合、かわることを自分自身が拒否していたから。

わたしはこういう性格だからとか。
経験をもとに考えてとか。
こういう人が私には合うとか。

無意識にじぶんの枠をきめていた。

でもたぶん枠なんて元々なくてじぶんや他人がつくるもので曖昧なものかもしれない。


以前尊敬している上司に
「君は積み上げて準備していいものを作る能力はすぐれている。
でもいま君にはジャンプしてほしい。
階段を上るんじゃなく準備せずまず飛んでみてそれから考えるようにしていけば階段で登るより高くジャンプできるよ」

と何度かちがう言葉で教えられた。
そのときの自分は結構転職や引越とか表向き変わった時期だったのでかわることに抵抗はないとおもっていた。
だから確かに柔軟性つけなきゃなーと受け止め仕事に向き合っていた。
でも、いまになって時差でその言葉がより理解できた。表向きじゃなくそんな根本的なわたしを見て伝えてくれた上司へ尊敬と感謝の気持ちもわいてくる。

心の奥底でかわらないものにこだわる気持ちが強くなってたんだなと。

わたしはまだまだ渋い武士みたいに貫いて達観しなくていいし、形をきめないまま感情を大切にして心が動いて変わるならそれでいい。

そう気づいたら、変わっていくことに抵抗がなくむしろ楽しかった昔の感覚を思い出した。こだわりがないからこそ色んな事に飛び込んでた事、新しい人達との出会い、新たな趣味をやってみてはまった時のワクワク感。



社会人になり、いまは結婚してこれからも積み上げていくだけだと思っていたけど、今は柔らかく変わっていく軽やかな心に委ねるのもいいかもしれない。

2020年変わっていく環境の中で、わたしも変わっていくんだなと新たに始めたガーデニングで土をいじりながらふと思った。

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