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子どもへの投資と親のエゴ

子育てには、できるだけ子どものやりたい!を叶える経済力が必要だろうな。
と独身の時は思っていたけれど、そんなこともなさそうだ、と今は思う。
親が子どもにかけるお金は、半分くらい親のエゴなのではないか…とすら思っている。

というのも、最近、両親と婚礼ダンスの処分をめぐって、思いの外腹を割って話すことになったからだ。
あちらの言い分は、「自分たちが娘のためにと想いをこめて贈った洋服箪笥なのだから、できるだけ長く使ってほしい」
というもの。
それに対して私の言い分は、「これからの生活スタイルや生き方に合わなくなったので、手放したい」
というものだった。
中々の平行線で話は続いたが、私もできるだけ彼らの愛情を踏み潰さないよう気を使いながら、素直な気持ちを伝えたいと一時間ほどもがくことになった。

これまで沢山のお金をかけてもらってきたという実感はある。
練習も嫌いで中々うまくならなかったトランペット。
離婚騒ぎで相手の物になった親からの家財道具。などなど…
申し訳なさと有難さが混在して、彼らの「今回の引越しは部屋数もあるのだから持っていってくれ」の主張に応じたくなるような気持ちも生まれたが…いや待てよ。
そんな話ではないのだ。
彼らのために私が箪笥を大事にするのはおかしな話なのだ。
もちろん大事に思っている。
物がなくなっても、ちゃんとハートには残っているのだと半分泣きながら話すことになった。
しかしそこはドラマのように、親の心を揺さぶって一件落着なんていかない。
あちらの主張はゆるぎなく、哀しみをまとっていた。
未だ決着はついてない。
いや、実はもう、手放しているので、結果は一つなのだが、傷つけず和解するための道は続いている。

彼らがどのようにお金を工面して買ってくれたのかは分からない。けれど、高額なものには違いない。
そういえば、鏡台を手放した時はもっとすんなりと了解していたな。

「こんなにお金をかけたのに!」
本音はそうなのではないかな。

こんなに学費を出したのに!塾のお金を払ったのに!受かったのは大したことのない学校だった…なんて嘆きをHULA仲間から聞いた。
なんてこった。それは辛いぜ、知ったことないぜ。

ちょっとでも苦しい顔をしながらお金を作るくらいなら、そこは無理と私は子どもに言いたい。
背伸びせず、贈ったものはもう相手のものだと思える自分でいたいなぁ。

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