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家族のかたち

もうnoteのアプリは使わないかな、と思っていたけれど、なぜかこれは文字にしようと思った。
普段の言語化によるアウトプットはstand.fmでの音声によるもので、安全地帯というか、私には助けとなっている。

なぜ今回に限ってnoteなのか、自分でもわからないけれど、書き出してきっちり整理したいのかもしれない。自分に言い聞かせるように。

我が家は今、夫がフリーランスとして働き始めて、私がアルバイト、一人息子が小学一年生といった状況だ。
しかも埼玉から高知に移住して5ヶ月という大きな変化もあった。

夏休みの今は特に、家族で過ごす、思い出づくりにはもってこいの時期だ。
しかし絵に描いたような家族の暮らしが我
が家にはない。

夫はフリーランスの仕事を軌道に乗せようと、仕事を軸に毎日を考えている様子だし、私も生活のため平日は朝から夕方まで製造業のアルバイトをしている。
一番気がかりなのは、引っ越して友達の少ない息子である。
寂しい思いをしていないか、これまで専業主婦で子どもと過ごす時間の多かった私は、どうしても日々心を砕いてしまうのだが、働かないとどうしようもないのが現実だ。
代わりに在宅ワークの夫は、息子と過ごす時間が増えている。

息子が、夫に遠慮しているのか私と二人の時に、夏休みが寂しいのだと泣いた夜があった。
それは哀しい、なんとかしたい、私も泣きそうな気分になってしまった。
しかし夫に話すと、仕事の時間を減らして半日は息子と遊んでいるという。夫の努力や想いは確かにあり、息子の寂しさも日々変わるものだろう。

それでも核家族で、他に大人も子どももいない我が家の状況下、私はこのトライアングルを健やかに保つことに時々限界を感じたり、疲弊するのだ。
それは子どもが二歳のとき、夫がフリーランスという働き方を目指し始めてから今に至るまで、形を変えて続いている。
寂しさや不満を、私は夫に幾度ぶつけてきただろう。
そして、感情をぶつけることで不満が解消されることはなく、単に私の気持ちを知ってもらうことに留まった。

子どもの幼少期と夫の仕事変革期が重なったこと。これはいわゆる絵に描いたような家族のかたちからはどうしたって遠のくことであり、そんなズレを気にする事自体、無駄に消耗するだけなのだと、今ようやく腑に落ちた気がするのだ。

息子が寂しい想いをするかもしれない。
私は家事や子育ての負担を感じるかもしれない。
夫のフリーランスの道は思いの外難航するかもしれない。
けれどそれが我が家の家族のかたちであり、その中で皆が少しでも健やかであるように暮らしていく。
覚悟を決めることもせず、やってられなくなったら、やってられないと言う。
そうしてるうちに「あの時はちょっと大変だったけど」なんて話しているのだろうし、必要以上に今を悲観するのはつまらないなと思った2023年の夏休み。

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