「綺麗な手だね」
手に柔らかさが現れている人が好き
その生き方に豊かさを感じられるから
手に力強さが現れている人も好き
そのあたたかさで優しく包んでくれそうだから
手に透明感が現れている人も好き
その儚さを大切にしたいと思えるから
人の手が好き
見るのも触れるのも
手と手を合わせていたら
そのまま血も繋がっちゃったりなんて歌詞もあったっけ
君と僕が最初に触れて繋がるのは
指先であって欲しい
離れる時も
最後まで
手が
手を
大学にて。近現代の文豪達が、作品内で使用した身体語彙について学んだことがある。
彼らの作品での出現率トップ10が資料にはまとめられていた。
私の好きな彼も、あの人も
「手」という語彙を使っていた。
多く、使っていた。
「耳」や「髪」、「目」、「唇」、「腕」、「脚」……
身体語彙なんて、挙げだしたらキリがない
人間という名の塊を構成する要素の一つ一つが、語彙として存在しているのは面白い。
そして、それらが句をつくり、意味を成し、選ばれ紡がれ表される。これもまた面白い。
少し話は変わるが、私が絵を描く時、画面を固定させるために、身体の一部を抽象的な世界に入れ込むということをよくする。
最初は無意識だったが、
自分の描いた絵を振り返ると
身体の一部が混ざり込んだものが多く、その中でも特に「手」が半分以上を占めていた。
(なんでここに「手」を入れたくなったんだっけ?)
考えた結果、抽象的な世界を描いた「私」は確かにそこに存在していて、ふわふわとした広がりの中での存在証明のようなものなのではないかと思った。
画面の固定は、私の世界の固定。私の証明。
その中でも「手」が好きなのは、
そこに人が現れていると思うから。
やっぱり
あなたからの「綺麗な手だね」
をずっと忘れられないから。かも。ね。
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