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『ブルーレコード』

あたしが月に移住したとして、地球のラジオだけは毎日欠かさずに聞いていたい

2023/5/17

「ここに居てよ、」


月の光が溶けた海から
宙を掬って 飲み干して
身体に銀河を宿したら
もっともっとと宙を求めて
そのまま地から足が離れる


2XXX年、夏。
人類の月への移住が可能になった。

幼い頃から「宇宙」というものに想いを馳せていた私は、この日を待ち望んでいた。死んだからって星になれるわけじゃなかったから、何度も生まれ変わってね。

月に四季はない。風も吹かない。
居住区が丸ごと透明なドーム状のもので覆われているからだ。
でも、その中では地球とほとんど変わらない生活を送ることができるとされている。ただ、実際に月へ移住していった人間たちの声や文字に、地球に住む人間は触れることができない。なぜできないのかって?なんでだろう。きっと、そういうものなのだと思う。

「じゃあ、行ってくるね。」

最低限の荷物を抱えた私は、好きな人間たちにそう伝えた。

「ここに居てよ、地球の何が不満なの?嫌な事でもされたの?」

そのなかの一人が言った。

「なにもないよ。ほんとになんでもなくて。ただ、ずっと夢だったから。月に行くのが。」

そう言い放って、この星を出た。


月に移住してきて二か月が経った頃、元居た星のラジオがこの場所でも聞けることを教えてもらった。月の輝きや引力が地球にも届くように、地球からの音の波は届くらしい。それからというもの、私は月から青い星を眺めながらラジオを聞くのが日課になった。好きな人間たちは、あの頃と変わらずそれぞれの宇宙を音に乗せて広げている。こちらの宇宙などお構いなしに。

好きな歌を唄い、好きな音楽を語り、自分の言葉を噛み砕く。今日の出来事を話し、晩御飯に悩む。考えていたことを声に出し、見える言葉にする。お互いの素敵さを交換したり、対話を始めたりする。みんなで一緒にアイスを食べたり、季節の匂いについて話したり。

あーあ。私も伝えたいことが沢山あるのに。

ガラスの空に雨粒がつくことはないけど、代わりに毎日朝から晩まで天体観測をしているよ。地面のザラザラは、砂浜みたいにやわらかくなくて、冷たいよ。でも近所の公園にはブランコや滑り台もあって、花も咲く。私は、最近とある王子にもらった薔薇の苗を育てているよ。名前だけの海があって、目を瞑ると波の音がきこえるんだ。よくその場所でラジオを聞いているから、そっちの海の音なのかもしれないね。

そんなことを思っても私の声や文字は届かない。届けられない。一方的に受け取っている、でも、それでいいのだと思う。


「ここに居てよ、」というあの言葉をたまに思い出す。私はそれに安心感を抱き、涙を流すと同時に、呪いをかけられたような気持ちになる。「うん。」と言えなかったあの日。「うん。」と言ってしまった遠いあの日。

宇宙を知ってしまった私と、自分の宇宙に囚われたままの好きな人間たち。(まあ。それだから、好きなのだけど。)

地球を「ほし」と読むようになったのは、あたしが宇宙の存在を知ってしまったからで

2023/5/19

ここはまだ世界の入口で、いつか出られるのかもしれないし、もうずっとこのままなのかもしれない。でも、ここまで読んでくれた貴方くらいは、


「ここに居てよ。」

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