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「なんか好き」の「なんか」の部分【短歌編】

最近の4時は青い。「4」はオレンジなのに。違和感。

夜が明ける眠りにつくのは青い4時
世界の流れと私の流れ

これは、インターネットの海にはまだ投げていない短歌。いや、うそ、今投げた。私が詠んだお気に入りの短歌。


去年の夏、現代短歌の講義を取っていた。
私には大学でのマイルールのようなものがあって、その一つに「窓側の席に座る」というのがある。緑の葉っぱが揺れて、講義の中で言の葉も揺れて、何人かの学生は夢に揺れて。そんな時間が心地よかった。

さっきのは、最後の講義でつくったもので、歌会でたくさんの意見や疑問をもらえて嬉しかったことを覚えている。創作したものを見て欲しい、何かを感じて欲しい、そしてそれをたまにでいいから伝えて欲しい。そんな私は、面倒くさくてかなり可愛い。(いや、可愛さに還元していかないとやってられない!というだけなのだが)

短歌や詩というものに関しては、小学生の頃から好きだったのだけれど、「なぜ好きか?」を見える言葉にできたのは最近のこと。それを聞いて「良かった」と言ってくれた人も居た。嬉しい。だから改めて書いている。単純だ。

きっかけはちゃんとあるのだけど、これは独り占めしたい思い出なので今は秘密。「短歌や詩が、なんか好き」の「なんか」の部分を、見える言葉にできたのはその日からだったと思う。

先日、言葉の意味と距離の話をした。
言葉の周りにはふわふわとした意味が漂っていて、その靄のようなものから、どのくらいの距離感の意味を掴んでくるのか。それが、その人の詠む短歌や詩の世界に現れると思っている。特に短歌は、31音という字数の制限があるからこそ、そこに落とし込まれた意味と距離の異なる言葉たちのぴったりとした煌めきが、「好き」だと感じさせてくる。魅力はそこに在る、気がしている。


歌会で私の短歌に感想をくれた人間たちは、「青い」と「4時」の組み合わせが興味深かったらしい。受け取る側が感じる違和感や余白は、私が言葉を並べた過程を説明してしまうことで一瞬で埋まって(固まって)しまうのも面白い。
だからこそ、余白に落ちたまま、広げて楽しんでくれる人間をたまに見つけると、最高だー!と思ってしまう。

いつか、好きな人間たちを集めて歌会をしたい。なんて。

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