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シン・エヴァンゲリオンを見てきた

この記事はネタバレはないと思うけどシン・エヴァンゲリオンをまだ観ていないエヴァファンにとっては毒となる可能性があるから、せめて一度観るまでは読まない方が良いかもしれない。




感想

高校生の時にTV版と出会って、リアタイで旧劇場版をみて、人生の半分以上、自分の中の心の片隅にトゲのようにささっていたエヴァンゲリオンという作品が完結した。

新劇場版の全体としては、純然たるリメイクで、ラストの着地も大方の予想通りってことで、納得している。

ただ、だからこそロスとは違う、喪失感というより、もともと自分の心の中には何もなかったし、自分自身は何も積み上げてこなかったなという時間の経過の大きさをナチュラルに突きつけられたことで、自分のそもそも日常的に感じていた虚無感の正体のようなものが理解出来たような気がしている。

新劇場版エヴァンゲリオンという作品の立ち位置

まずエヴァンゲリオンの全体は庵野監督のメタファーとしての物語だっていうのが一貫してある。実はエヴァンゲリオンという作品はそれを通して庵野監督の人間性をそのまま感じる、非常に生々しい作品であると言える。

ただ、日本のアニメ作品ってのはジブリやドラえもん映画の頃から監督や原作者といった作品に大きく関わる人がプロモーションの前面にでてきてその自身の人間性を表現するすることを含めて作品です、みたいなところもあり、それ自体はそんなに珍しい話ではないと思う。

それを踏まえて、新劇場版エヴァンゲリオンという作品全体を考えてみると、割と純粋なエヴァンゲリオンファンによるファンメイドの作品であったと、そのなかで庵野監督自身によるメッセージがしっかり込められているから、そりゃファンに弩ストレートに届くよね、とそう思う。

つまり、旧作で庵野監督によって補完されたエヴァンゲリオンファンの精鋭が、自分の表現スキルを徹底的に高めてエリートとなり新劇場版エヴァンゲリオンを制作し、完成させたっていう話だったりする。

シン・エヴァンゲリオンのクレジットをみてみるとそれがよくわかる。有名なアニメーション制作会社に所属するスタッフもクレジットがあって、コアなアニメファンだと「あ、このシーンは絶対この会社が作ってるだろ」みたいな楽しみ方もできる。一貫してテーマソングを宇多田ヒカルが制作しているのも象徴的だ。

ヴンダークルーはコアなエヴァファンのメタファー

そういう意味で、新劇場版エヴァンゲリオンに登場する人物たちというのは、特に新キャラについては、旧作で影響を受けた何かしらの関係者のメタファーであったねと思うし、エヴァの作品をよく知っている人ほどそれが伝わるようになってるよねと思う。

だから、エヴァQによる旧作の改変ってそういうことなんだったんだなぁと思う。で、そういう理解の上で今回のシン・エヴァンゲリオンを観なければ、納得感もなかったかもしれないと思うと、エヴァQからある程度の時間をおく必要もあったのかもしれない。

虚無感の正体

新劇場版エヴァンゲリオンの表現については、世界トップレベルであることはいうまでもない。そして、それをつくりあげた人たちってのは、自分と同じ時間をすごしたものの、その時間をすべてその表現ができるまでに高めることが出来た人が制作しているという事実もある。そして、自分には何もないということも。

素質もあっただろう、環境もあっただろう。そして、努力もあっただろうし、迷いも挫折もあっただろう。ただ、突き詰めることができたことに対する思いってのはいろいろと渦巻くわけで、そういうことが直視させられたことってのが、ひとつ、虚無感の正体かなと思ってる。

これからどうしましょ

思えばこれまでも、すごいものを見せられたときに、同時にその人が掛けた膨大な時間を感じるたびに、自分の欠けている部分、圧倒的に足りてない部分を見せられて、虚無に陥るっていうのを繰り返してきてて、今はそれがわかってさらに深遠なる虚無を感じていたりします。

結局、突き進めるなら行くっきゃ無いし、そういうメッセージもあったよねと思うので、やっていけるなら、いのちを掛けてやりたいなと思ってます。

願わくばそれをサポートしてくれる人が近くにいてくれたら良いのに、とそういういつも思うことを繰り返しながら、いろいろと過ごしていくことになりはしますが、できるだけ、前に進んでいきたいと思います。

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おるのん
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