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羽生結弦氏の離婚を巡る報道

羽生結弦氏の衝撃的な離婚から数日、世間では様々な意見が噴出していますが、その離婚理由が「メディアで一般人の妻やその親族、自身の親族などに対してい誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道により、自分たちを守り続けるのは極めて難しく、耐え難いものになった。妻の幸せを考えたら一緒に居られない」とコメントし、メディアが過激な取材が原因だとしました。


SNS上では賛否両論ですが、そんな中、羽生氏の一般人と言われる妻の実名を報道した新聞社が反論したとニュースになってました。簡単にまとめると

「一般人の名前を出すのはどうなんだという意見はあるが、なぜ結婚相手を隠す必要があるのか理解できない。羽生氏は有名人で、妻も地元では有名人であり、地元では祝福の声があがっていたから報じたまで」

「両者とも有名人、芸能人なのに、プライベートが、プライバシーがとメディアを非難するのはどうなのか。都合の良い時だけメディアを使い、悪ければ非難するのはいかがなものか」

「そもそもなぜ結婚相手を隠すのか。彼女は地元の宝だが、内緒にするような話なのか。彼女に取材が殺到したから離婚するとは、地元の子が泣かされたのと同じだ。男なら最後まで守ってくれという気持ちだ」

「また、結婚相手を隠し通そうなんて女性蔑視もいいところで、女性に対して失礼極まりないし、ここまで女性をバカにしたことがよくできるなと思う。この時代に許されるのか。田舎の人間だからってバカにしているのか」


ということらしいです。これを見て世間一般の人はどう思うでしょうか。
私個人は随分勝手な言い分だなと思います。

まず、結婚相手の名前を隠す必要性が理解できないと言うのは木を見て森を見ずの典型ではないでしょうか。羽生氏が懸念していたのは、妻の素性を公にした場合、過激な取材や誹謗中傷、ストーカー行為などが発生し、妻はもちろん、その親族や関係者にも迷惑が掛かることだと推察できます。芸能人やアイドルの結婚でも、一般人とした相手のことを根掘り葉掘り調べ上げ、その親族や友人関係にまで際限なく取材を掛けてきたのがメディアですから、そうした懸念があるのは当然でしょうし、事実、公になったことでその懸念が的中することになりました。それでも名前を隠す必要性が理解できないと言うのでしょうか。


次に、プライベートが、プライバシーがとメディアを非難するなという点も疑問に思います。芸能人のプライバシー権について、一般的に個人の住居情報に関してはプライバシー権侵害にあたるとされていますが、「一般の人々に公開されておらず公開されることで本人が不快・不安の念を覚えること」についてもプライバシー権の侵害になりえるというのが地裁・高裁の判断だそうです。今回は結婚という一般的にめでたい情報ではあるものの、羽生氏側がその情報の公開に不安があったとすれば違法行為となりうる可能性もあるため、それを指摘することは一概に問題だとは言えないのではないでしょうか。

こうした事を考えれば、妻の素性を隠しても何ら不思議はないでしょう。それをメディア関係者が「地元の子が泣かされた、男なら最後まで守れ」と感情論で反論するのは筋が通らないと思われても仕方ありません。

もちろんプライバシー権は、メディア側の表現の自由や情報を受け取る側の知る権利と対立しますが、どちらの権利も無条件に認められるわけではありません。憲法が定めるように「自由および権利は濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任を負う」わけですから、社会全体が良くなるようにその権利を主張してほしいと思いました。


また、妻の素性を隠すこと自体が女性蔑視になるとはどういう論でしょうか。文面ではその点の説明はなく、妻の素性を隠さざるを得ない懸念を無視して、女性蔑視という強い言葉を使うことこそ「いかがなものか」と言われませんか。しきりに自分たちは田舎の人間だからと言いますが、逆に考えたら田舎の理論で物を言うなと言われませんか。

メディアであるからこそ感情論で語ることなく、徹頭徹尾、数字と筋で報道することが大切だと個人的には思いますし、そうした部分を蔑ろにすれば、ますますメディアが叩かれてしまうのではと懸念してしまいます。この反論は勿体ないですね。社の考えとして、広報から発信していれば違ったでしょうが、実名も出さず、一担当者の意見として出してしまうのは軽率だったように思います。

なお、個人的には羽生氏の妻の素性を明らかにするのであれば、入籍発表から最低でも数か月、できれば1年以上は期間を空けて報じてほしいと思います。そうすれば、どちらの権利もある程度は保障されるのではないでしょうか。皆様はどう思いますか。


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