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鏡よ鏡よ鏡さん

毎朝、顔を洗う時に鏡を見る。そんな時ふと思うことがある。
この世に鏡がもたらされた時、初めて自分の顔を見た人たちは、何を思っただろうかと。

本当に単純な話。鏡のない時代、たとえば縄文時代に生きていた人たちは、自分以外の人の顔は見えるのに、自分の顔を知らないままで過ごすその心理状態っていったいどんなだろうと考えてしまう。髪の色や手触りは目で見て分かるとして、顔の造作は手でなぞれば、父親や母親のどっちに似てるのかもしれないとか、近所の誰それの頭より自分の頭の方が大きそうだなとか、それくらいの感覚はつかめるかもしれない。手足の長さや背格好なんかは自分で自分を見ることができるから、そんなに意識しないだろうけど、でも顔は一体どうだったんだろう。

水面に映る自分の姿を見て恋焦がれてしまうナルキッソス(ナルシシズムの語源となった古代ギリシャ神話。ナルキッソスが妖精エーコーにとった態度に憤った女神ネメシスが、自分だけしか愛せないようにしてしまうというお話)、フランケンシュタインは、ある日自分の姿を鏡で見てしまい、その姿に嘆くことになる。

人の顔は見えるのに、自分の顔が見えないって、不安ではないのだろうか。
それが理由で、古代の村では、子どもが家でするとか、殺人事件とか起こったりしなかったのだろうか(なぜ殺人事件かは置いておくとして)。
水面に映る顔とか、誰かが描いてくれる似顔絵とか、そんなこともあったかもしれないけど、でも、鏡ほどそのものをくっきりと見せてくれるものはないはず。

この世に初めて鏡がもたらされ、それを覗いた時、人は初めて、自分と自分以外の人間を「比較」することを始めたのではないかと想像したりする。強い自意識も芽生えたはず。

世界から鏡を無くしてしまったらどうなるんだろう。いい意味で、人のことなんかどうでもよくなったりしないかな。承認欲求とか、それにまつわるSNSの勝手な物言いとか、そんなのも減ったりしないかな。

などと、人生が特に豊かになるわけでもないことに気をとられ、つらつらと考える毎日を送っている私は、ここ何日も鏡を見ていない。

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