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見えてきた、その先

2月16日。PTA会員方に改めてPTA解散の意向と新組織立ち上げについて話すことになった。

元々は先生のご意向で、先生の質疑応答の場となるはずだったのが、これまた同じく先生の采配で質疑応答の対話の場ではなく、カチカチとして議事進行を決めたスクール形式のプレゼン日となってしまった。

異議を唱えた。それでは先生方の疑問が解消されない。

それでも、元々先生方しかいらっしゃらないはずの場に、保護者や地域の方を迎えることで、フォーマルな場へと変えてしまったのは先生のご判断。

PTAのその先

提案をまとめていくために、PTAを無くして何を目指しているのか、保護者達はグループLINEで意見を交換し、たくさんの調べものをし、たくさん勉強した。

そして、我々の出したある一つの形として、文科省が提唱する国型のコミュニティスクールをつくること。そのために、小規模校である我々は人的リソースが限られているために、PTAに構っている余裕はなく、コミュニティスクールを形作るためにマンパワーを集中投下することにあると解を導き出した。

なぜコミュニティスクールなのか

小規模校だ。何をするにも「廃校」の二文字がついてまわる。それが嫌だった。先生たちが打算的に関わっているのも保護者達も感じている。廃校になるならなんでもいいのか?という疑問。

違う。

子ども達を中心に据え、大人達(教職員・保護者・地域)が子ども達の学びをサポートする、そんな新組織でありたい。

その概念の枠組みに文科省が提唱する国型コミュニティスクールがピタッとはまった。

ただ、コミュニティスクールをつくるために枠を作っていっては意味がない形骸化したものになる。だからまずはもう少し緩く、子ども達を中心に据えた大人たちのつながりをイメージし、それを形にしていくことにした。

学校が孤立している。

学校が地域と乖離している。地域住人の意に添わない学校運営の在り方にNOを出している。保護者が子供を学校に通わせているのに学校ことをあまりに知らなさすぎることが今回の一件で露呈され、そんな学校と保護者との間に溝がある状態に対してNOを出している。

教職員と保護者と地域が改めて手を取り合って、地域の目指す未来と保護者が望む子ども達の学びの未来とが、学校運営と折り合っていく。そこに学校の未来があると信じ、その実現のためにコミュニティスクールの枠組みを利用させてもらうことにした。

PTAとコミュニティスクールは別次元の話し、とも言われる。

もちろん別次元の話だと思う。しかし、小中で中核となる保護者6名の学校で人手が限られている中で、PTAが良い悪いではなく、取捨選択した結果として、PTA解散とコミュニティスクールを目指した新組織立ち上げへと提案がつながった。

質問がない先生方

提案後の質疑応答の場。質問が出ない。2つだけコメントがあった。

「今、どのように判断してよいのか分からなくて不安。時間が後1年欲しい。」

「どのように考えれば良いのか分からず、混乱している。」

人間の心理だろうと思った。新しいことをやるのは、不安だし怖い。時間が欲しいと願う気持ちは分かるが、時間があっても解決はしないのもまた事実。先生が異動するまでの期間逃げ切りたい先生がいるのも見え隠れする。

必要なのは「当事者意識」それだけだろう。

「不安」「怖い」を超えていくための質問。何が不安なのか、何が怖いのか、どうしたら判断できるのか、もっともっと悩み考えてもっと質問をして欲しい。

新組織で何をやりたいのかコンセプトやビジョンを描いた提案書を準備するように言ったのは先生。規約も作ってくるように言ったのも先生。それらを準備して持っていったら「不要」「怖い」と言われ、学校が責められているとまで言われた。いやいや文科省が提唱しているものを持って行って怖いも責めるもない。ちなみに内閣府が出しているSoceity5.0時代における教育についてはノーコメントだった。もっと考えて欲しい。

保護者が求めたのは「対話」

溝があるのならそれを解消し、より良い子どもを中心とした学びの場を創っていくのなら「分からない」を超えていく、そのための「対話」。

全く先生に言葉が通じなかった。

それまでの積み上げた議論を「無」にした校長

決して今までの経緯を知らなかった訳ではないものの、それでも色々と初めて聞く内容もあったであろう先生方が困惑するのも時間が欲しいのもまだ理解できる。

それでもだ。校長教頭はずっと激論飛ばして会話してきているのだから、知らぬ存ぜぬは許されないと思う。

見事に校長が今までの言葉を「無」にした。

凄まじいやるせなさと憤りを感じた。そしてそれが現実だと悲しくもなった。全てを有耶無耶にし、なかったことにしようとする校長。心底辟易とした。

「創造性の大部分は伝統領域の境界を超えることにある。」
ーミハイ・チクセントミハイ

保護者は一つのビジョンが見えてきた。奇しくも先生に求められることがどんどんエスカレートしそれに応え続けようとしたからだと思う。

けど、先生は髪を後ろに引っ張ることばかりして足踏みどころか、言葉を歪め、無にすることで、人を蹴落としているようだ。

それでも、諦めない。

ここからどのように進んで行くのか、それだけだ。

学校の未来を創っていきたい。

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