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成人の日、変人である覚悟

成人式に行かなかった。理由は、振り袖を着たくないから、だ。

自分が、振袖を着ることを楽しめない人間であることは分かってる。社会的に形成された「振袖を着たい」という感情を、内発的なものだと疑いもなく信じられれば、良かった。しかしそれ以前に、社会は私に、「振袖を着たい」という感情を植え付けてはくれなかった。もっとも、私が自ら拒否したのだが。

「振袖を着たい」と思えなくても、振袖を着ることはできる。しかしそれもできなかった。振袖文化を冷めた目で見つめてしまっていた自分は、そこに自分を参加させることを許せなかった。親の楽しみを一つ奪った。母も父も、ちゃんと振袖文化を信じていた。

社会に広く受け入れられている文化があるとして、それが自分に親和的でなかったときに、その外に出るだけのことが、なぜ、こんなにも苦しいんだろうか。「逸脱者」と言わんばかりに白い目線を向けられる。自分を思ってくれている人を失望させる。

小さい頃から、「変人」と言われてきた。最近になって気づいたのは、「変人」とは、世間に広く浸透した文化の外を生きる人のことだ。それなら私は、まぎれもない変人だ。もはや私のアイデンティティは「変人」くらいしかない。

成人の日、地元のニュースで、自分が行くはずだった成人式が流れてきた。それを見て、私は、ああ、もう自分はあそこに行けないんだなと思った。同じであることに安心し、同じであることで分かり合える空間。自分は異質な変人として生きていくのだ。

変人として生きるにも、覚悟が必要だ。白い目線や裏切りの申し訳なさと共に生きていく。

変人を突き詰めた先に、同じ悩みを持つ人の希望となれる未来を夢見ながら。
こういう人も生きていて良いんだよと誰かに伝えられるように。
こういう人も社会には必要なんだよと、自信をもって言えるように。


#成人の日をむかえて

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