写真:’21年12月 瀬戸大橋(四国側)付近 岡山から高知へ向かう電車で見た景色です。 危篤の祖父(母方)に会いに行く道中でしたが、ちょうどこの辺を走っている時に訃報が届きました。 写真を見ると、祖父が遠くなっていく感覚を思い出します。死後に通る道にありそうな風景だからかもしれません。 父方の祖父は若くに亡くなっていて、母方の祖父とも片手で足りるほどしか会うことはありませんでした。 なので、「祖父」とは何だったのだろうかと、たまに不思議で寂しい気持ちになります。
写真:’23年7月 浅草・かっぱ橋本通り 七夕祭りで遭遇した一場面です。 男の子は泣くことなく、目の前に現れたカッパの方を向いていました。不安げか、不思議そうな顔か、その表情は見えませんでしたが。 この日、祭りへは1人で行きました。 せっかく都内に引っ越してきたのだから、東京での催し物を楽しみたい気持ちがありました。 けれど、以前よりも休日に1人で外出することが億劫になっているところがあり、この日の外出もエネルギーを振り絞ってのものでした。 向かう途中に雨が降ってきて、
写真:’23年12月 都内 信号待ちをしている時に撮りました。 垂れ幕に書かれている、映画『PERFECT DAYS』のキャッチコピーが「こんなふうに生きていけたなら」です。 撮影した日あたりに映画館で観ました。 主人公は、規則正しく淡々と生活する男です。けれどその日々のなかにも様々に感情を揺さぶる出来事が散らばっている、そんな物語だったと思います。 役所広司が演じる主人公の日常が纏う澄んだ空気が素敵です。 今回はこの映画のキャッチコピーに絡ませて書いてみようと思いまし
写真:’22年1月 大学構内 学生のころ、空きコマは誰もいない講義室で過ごしました。学食やカフェスペースや誰かと過ごすことが苦手だったからです。 レポートを進めたり、ご飯を食べたり、本を読んだり、スマホを触ったり、ときどき寝たり、1人で自由に過ごせました。 今は、毎日さまざまな人と接する場所で働いています。柔軟なコミュニケーションがとてもとても重要な仕事です。 よく、ここにいていいのだろうかと自分の存在を疑う瞬間があります。コミュニティに属するということは騒がしさとさみ
写真:’20年11月 岡山・犬島 この島には、名前に「犬」がつくことに惹かれて行きました。 静かな浜辺や放し飼いのニワトリ、秋の花々、写真に写っているような銅の精錬所跡。 まばらでしたが観光客もいて、島は静かに賑わっている印象でした。 島を散々歩き回り、船で港に戻ったあとに待っていたのは駅まで徒歩3時間の道のりでした。最終のバスに乗れなかったためです(時刻表を確認してすらいなかった)。 無計画な遠出に、あんなにも打ちのめされるとは想像もしませんでした。 駅までは約11
写真:’22年10月 東京・大塚シティホテル テレビに映っているのは深夜の番組です。 島の空撮が淡々と流れていました。 このホテルは独特な匂いがあって、内装やフロントの佇まいやルームキーは時代を感じさせるものでした。年季の入った建物なので、ツインルームに1人というのは少し怖かったです(他は空いてなかった)。 安さだけで選んだけれど、でもこうしたホテルがまだ残っていて泊まれたことはうれしい。 この時は、会社の面接のために東京に来ていて、ひと息ついてから帰ろうと思い一泊す
写真:’21年9月 福井・若宮海水浴場付近 海水浴場は閉鎖中で、だいぶ日も暮れていたので寂しい景色でした。こちらまで寂しくなるくらい。 京都に向かう途中、小浜線の若狭高浜駅で降りて歩いた時に上に載せている写真を撮りました。 お昼に別の駅で降りて海を見ましたが、日が暮れる前にもう一度、どこかで降りたくなったのだと思います。 どんな景色があったか、具体的に言えるほど覚えていませんが、夕日が差して静かで、住宅街やスーパーには町の人たちの姿がポツポツあって、......そうし
写真:’20年11月 岡山県の津山線にある誕生寺駅ホーム 日記以外で長い文章を書いてみるのは初めてです。 毎投稿、一枚写真を載せて、思い出しながらその時のことを書いてみることにします。 この写真の2ヶ月ほど前にコンデジを購入し、色々な場所へ持って出かけるようになりました。 誕生寺駅はそのひとつです。 でもこの日、とくに誕生寺駅を目的地としていたわけではなかった気がします。 岡山で育ちましたが津山線に乗る機会がなく、好奇心で乗って何となくここで降りてみたのかもしれません。