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九州の冠水と、連絡がこなくなった本の仕事

去年の夏あたりにめずらしく食べ物、弁当の本のの撮影を関係者たちと数日くりかえしていたことを忘れていた。仕事の途中で連絡が来なくなることに驚きはない。誰かが、何かの拍子にふと何かを思いついたり、何かが、ふと誰かを立ち止まらせたりすることに不思議はないし、寝て覚めると突如感情に支配されていることもあるだろう。どうであろうが、

本を作ることも、作らないこと、どちらも〈いいアイデア〉に違いはない。

自分がなぜそのこと思い出したかというと、故郷である九州で冠水が続いている知らせを聞いたからだ。昔は雨より風が多かったが、被災が近づくと近所の母たちが集まっていっせいに米を炊きはじめる姿と、覚悟を決めたような老人たちの笑顔と白い歯を思い出す。

それぞれの家で、そろそろ家を建て替えるとか、長女がどの専門学校に行くのがいいのかとか、婆さんをどのホームに入れるかとか、納骨堂までの道を舗装するとか、大事な話の途中に水は溢れてくる。そして水が引くと、ついこの前まで話していたことを忘れる、というか互いに消してしまう。あの時の、議題を引きずらなくてすむ〈今〉は、幸せを含んだ時間だったと思う。撮影隊が今も何処かで新たな〈今〉に対峙していればそれでいいと思う。


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