英語の勉強の半分は日本語のお勉強だ

令和6年6月16日(日)くもり 雨

 今日も、武士道16章を進めたが、一つ気がついた。

 当たり前のことかもしれないが、英語の勉強とは英語を日本語に直すこと、またはその逆。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 であれば、英語の勉強とは、半分は英語の勉強で、半分は日本語の勉強となる、はずである。

 と、武士道をやっていて気がついた。

 武士道の英訳は簡単である、ということは全くない。

 難しい英語である。

 しかし、この2つの日本語訳を見よ。

 こちらも格段に難しい。

 これも、読み上げて録音したのだが、この作業が意外と大変であった。

 漢字の意味、言葉の意味、読み方を調べてチェックした。

 この作業は、英訳の作業に負けず劣らず大変であった。
 英語の勉強と同じくらいか、それ以上の労力がかかった。

 だが、終わってみて英文を見てみると、随分と簡単な様に見えるではないか。

 日本語を勉強することにより、英語の理解も進んでいたのであろう。
 英語の勉強の半分は日本語の勉強であったのだ。

The transformation of Japan is a fact patent to the whole world.  Into a work of such magnitude various motives naturally entered; but if one were to name the principal, one would not hesitate to name Bushido.

ちちゅう 0【踟蹰】 (名)スル ぐずぐずすること。ためらうこと。躊躇(ちゆうちよ)。「彼れの―する間だに,予これを撃ち敗ることを得たりしなり」〈西国立志編•正直〉

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