床屋への旅~和~2
前回散髪してから半年が経っていた。
刈り上げおかっぱにした体験は忘れられない。中学校卒業間際の記念散髪のつもりだった。SNSで得た情報を頼りにある男性が営む床屋で髪を切った和(なごみ)はすっかり床屋さんでの散髪の魅力にハマってしまった。ただ、「ハマってしまった」とはいうものの、その後は高校での新生活が始まったというこうもあり、次の床屋さんでの散髪には踏み出せないでいた。
髪は刈り上げおっかぱを素直に伸ばしたままのようになり、今では肩を超える長さまで伸びてしまった。
「そろそろ切りたいなあ。でも、美容院だと満足できないし・・」
和はそんな欲求不満な自分の気持ちを持て余していた・・
ある日、通学の電車に乗っていると、ふとその光景が飛び込んできた。
その駅に電車が停車すると古びた床屋さんが見える。何気なく見える床屋さんの景色を和はいつも楽しみにしていた。と言っても、通学する時間は床屋さんの開店前で、動かないサインポールを見つめるだけの儀式だった。
「今日も誰かが散髪されるんだろうなあ」、と思いながら床屋さんを見つめると、そこにはブロッキングされた女性の姿が見えた。
えっ!突如の光景にぼんやりとしていた和の頭が覚醒し、他の全ての思考が吹き飛んだ。今日は期末テストの日で、1時間目のテストを受けなくてよい和は2時間目から登校するために、いつもより遅い電車に乗っていた。そのため営業している床屋さんに遭遇できたのだ。
「女性の人が散髪されている」
離れた位置から見える床屋の椅子に座る人物は女性だということが分かる程度で、年恰好までははっきり分からない。
「どんな風に散髪されてしまうのだろう。まさか、丸坊主。でも、ブロッキングされているから丸坊主ということはないかな。なぜ、床屋さんに来たのだろう。いつも床屋さんで散髪されているのかな」
様々な妄想が和の頭に浮かんでは消えていく。
「あぁ、散髪の瞬間が見たいなあ。でも、降りたらテストに間に合わないし」
そう思った瞬間、静かに扉が閉まり、電車は無情にも動き出した。
学校に着いても床屋さんの椅子に座らされた女性の光景が頭から離れず、テストになんて集中できないと思われたが、なんとか乗り切ることができた。なんとかどころか、自分の感覚ではいつもより出来が良いように思われた。2、3,4時間目のテストが終わり、これで今回のテスト週間も終わった。安堵の気持ちと共に、朝の光景が再び頭に浮かんでくる。
「あの人、どんな髪形になってしまったのだろう・・」
そう思いながら、和は肩まで伸びた髪を撫でた。
「久しぶりに床屋さんに行きたいなあ。揃えるくらいなら良いよね」
そんなことを思いながら、帰りの電車に乗った。
床屋さんのある駅で普段降りることはない。普段というよりも今までに一度も乗り降りしたことがない駅だ。
改札を出て、床屋さんの方へと向かう。
その床屋さんは電車から見て想像していたよりもずっと古いお店だった。
「こんなお店であの女性の人は切られてしまったんだ」
和はお店の前を行ったり来たりしながら思いを巡らした。
お店の前までは来たものの、どのくらい切るか、どんな髪形にするか、具体的には考えていなかった。大体、朝の人は本当に女性だったのだろうか。髪の長い男性だったのではないだろうか。そうかもしれない、そう思うことにして今回はやめにしようかな、そんな風に思った瞬間、お店の扉が開いた。綺麗な角刈りにされた男性が店から出てきた。思わず、お店の中を覗いてしまった和は店主の男性と視線が合った。和は引き寄せられるように床屋さんの中に入ってしまった。
「女子高生かい。こんな床屋に珍しいねえ。」
初老の店主は和をじっと見つめていった。
「顔剃りかな」
和は緊張して答えられない。
床屋の店主は制服姿の和をじっと見つめる。
(間違えました、と言ってお店から出よう)
そう思ったとき、
「実は午前中も若い女性の髪を切ったんだよ」
「その人はワカメちゃんカットにしてくださいと言ってねえ。僕も自信は
なかったんだけど・・。まあ、なんとか散髪してご本人さんも満足してく
れたみたいで良かったよ」
店主は独り言のように続けた。
(やっぱり女性だったんだ。しかも、ワカメちゃんだなんて)
次の瞬間、
「私も散髪して欲しいんです」
和は言ってしまった。
「良いのかい」
「はい」
和をほとんど無意識に言ってしまった。
制服姿の和を見つめ、店主は言った。
「まあこちらの椅子にどうぞ」
店主は和を大きな黒い椅子に案内した。
大きな椅子に座った和の髪に店主が触れてくる。
「痛みのない綺麗な髪だね」
それだけで和はドキドキしてしまう。
次の瞬間、機械音と共に椅子が上がっていく。
和の緊張の高まりを見透かすかのように店主は肩に手を掛けた。
「どんな風に散髪する」
店主はニヤリと笑って言った。その笑顔は先程までとは違い、ハンターが格好の獲物を視線に捉えたような表情だった。
「あ、あ、」
和は詰まって言葉が出てこない。
(どうしよう、どうしよう)
今日、髪を切るという想像をしていなかった和は髪形が口から出てこない。
(揃えるだけ、揃えるだけと言えば良いよ)
心の中で呟きながら、そう言おうとした瞬間、
「床屋さんに来て、揃えるだけということはないよね。近所のバレー部の子達みたいに部活カットかな。あれはけっこう刈り上げるんだよね。」
店主は和の心の中を見透かしたかのように言った。
和は言葉が出てこない。
しばしの沈黙が流れた。
奥から店主の妻と思しき女性が出てきた。
「おや、制服姿の学生さんかい。珍しいねえ。大体、ジャージ姿の女の子
が来るんだけど。部活カット?」
和は観念した。
「はい、部活カットです」
運動部ではない和だったが、部活カットの軍門に降ることにした。
(キノコみたいな髪形にされちゃうのかな)
店主は和の髪形に触れながら言った。
「この辺りの学校の部活カットは、スポーツ刈りのような感じだけどそれ
で良いんだよね」
「えっ、えっ」
『スポーツ刈り』という言葉に電気が走るような衝撃を和は覚えたが、もはや抵抗することはできないように感じられた。
店主は白い襟紙を和の首に巻いていく。
「刈り上げるからきつめに巻くね」、
黄色いケープを巻かれ、霧吹きで髪を濡らされていく。
「刈り上げるなら、これも巻かないと」
そう言って奥さんがネックシャッターを店主に渡した。鮮やかなピンク色のネックシャッターも巻かれてしまった。
前回の床屋さん以来、いつかはスポーツ刈りにと思っていた和だったが、予想外の展開でスポーツ刈りにする日が巡ってきた。心の準備が整うはずもなく和は心臓が口から飛び出そうなほど緊張し、不安が高まっていた。
(前回のおかっぱより短くされてしまうんだ)
店主は和の髪をブロッキングしていく。途中、ダッカールの挟み具合が甘かったのか、一部の髪がほどけてしまった。
「相変わらず下手ねえ」
奥さんがそう言いながら、ブロッキングをなおしていく。
(ブロッキングがこんなに下手なのに、女性の長い髪を切って大丈夫かな)
和は余計に心配になった。
「バリカンは上手いんだけど」
店主は笑って言った。「バリカン」、その単語に和は愛想笑いをする余裕もなかった。
「これを入れるよ」
店主がコードのついた大きく黒いバリカンを和に見せる。
「持ってみて」
和はケープの中の手でバリカンを受け取る。
(重たいなあ)
「古い機種なんだ。多くの男性を刈り上げにしてきた年代物だよ。今から、女子高生を刈り上げちゃうけどね」
店主と奥さんは笑ったが、和の顔は強張った。
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