断髪小説~恵美子~

幸子が中学生の頃から、母の恵美子は気づいていた。
ネットで散髪動画を見ていることを。
それは自分がずっと秘めていたことであることも。

自分が娘の幸子と同じ趣味を持っていることに気づいたのは、中学生の時かもしれない。
正確に言うともっと前だったかもしれないが、意識し始めたのは中学校に入学するときだ。
当時の田舎では一般的だった男子は丸坊主、女子は眉に掛からない前髪、後ろは襟につかないことという校則に従って、それまで肩より長かった髪をばっさり切ったのだ。
母に連れられて行ったパーマ屋さん(母はこう呼んでいた)でおばさん美容師にジョキジョキと自慢のポニーテールを切られて以来、自分の中に何かが芽生えたのを自覚している。
自分だけではなく、髪の長かった友達も一様に髪を短くしてきた。
女子生徒はセーラー服の襟につかない段カット姿になっていた。体育会系の部活に入った女子の中にはスポーツ刈りになった友達もいた。
友人の洋子の話は衝撃だった。
洋子はスポーツ刈りではなく、恵美子と同じ段カットではあったが、切った場所が違っていた。
「父に連れられて行った床屋さんで切ったのよ。同級生の康介が隣で丸坊主にされていて、横で切られるのが恥ずかしかったわ」
洋子はそう言いながら、床屋さんでどんなことをされたか少し楽しそうに話してくれた。
恵美子はそんな洋子の話を聞きながら、自分も床屋さんに行ってみたいなあという気持ちを感じていた。
しかし、それは引っ込み思案の恵美子には叶わない願いだった。
また、床屋さんで切られてみたい、という思いを抱く自分が不思議で気味悪くも思え、この気持ちは抑えるようにしていた。
その後も、自分が髪を切るたびに、周りの人が散髪してくるたびに、この持て余し気味の感情が芽生えてきたが、あえて気づかないように、避けながら暮らしてきた。

中学生になった幸子を学校に送り出し、恵美子がパソコンを触っていると、2重の意味で衝撃的な世界が広がっていた。
娘がどんなサイトを見ているのか、親として気になり探っていると、そこには恵美子が押し殺していた趣味の世界が広がっていた。
長い髪の女性が床屋さんで髪を切られていく。
時にはバリカンを使って丸刈りにされてしまう女性もいる。
こんな世界があったんだ。
自分以外にもこの嗜好を持っている人がいることに驚くと同時に安心感も覚えた。
そして、その嗜好を自分の娘が持っていることにさらに衝撃を覚えた。

大学生になった幸子が東京で一人暮らしをはじめ、今は自分が独占的に使用しているパソコンで大好きな断髪を見ていた。
幸子の履歴に残っていた、和子の床屋のサイトも恵美子のお気に入りのサイトになっていた。
その日も、和子の床屋のサイトでライブ中継を見ていた。
自分も切られてみたいと感じながら、ライブ中継があるときは楽しみに見ている。
その日のモデルは、そこに登場したのは娘の幸子だった。
バリカンを駆使され、自分の娘が刈られていく。
恵美子は驚いたが、いつか幸子が挑戦するのではないかという予感を感じてもいたので、違和感は感じていなかった。
そして、思い切ってライブ散髪に挑戦した幸子を羨ましくも感じていた。

幸子が帰省してくるたびに、高校時代とは激変した娘の髪型を見ながら、それとなく散髪の話をした。
娘はそのあたりの話題を避けているようで、母が自分と同じ趣味を持っているとは想像もしていないようだった。
ある帰省の折、恵美子は意を決して、幸子に自分も同じ嗜好を持っていることを話した。
幸子は非常に驚き、困惑した様子だったが、母が自分と同じ趣味を持っていることに妙な安心感も覚えているようだった。
そして、母である自分にも和子さんの床屋さんで散髪に挑戦してみないかと薦めてきた。
恵美子は躊躇いを感じながらも、心のどこかでは幸子からのその言葉を待っていた。
和子さんの床屋での散髪に挑戦することを決意した恵美子は、髪型などすべての設定を幸子に任せることにした。

恵美子は、その日から床屋さんの側を通るたびに中を覗き、散髪されている自分の姿を想像してしまった。
しばらくすると幸子から連絡が来た。
「お母さん、髪型が決まったよ。スポーツ刈りに挑戦してもらうことにしたよ。しかも、ライブ中継あり、男性の方も店内にいる公開散髪にしたいけど大丈夫かな?」
幸子は心配そうに尋ねてきた。
「あなたにすべて任せているから大丈夫よ」
その後、日にちの相談をした。恵美子の夫、幸子の父親は海外に単身赴任をしており、家に一人でいる恵美子は自由が利く立場であった。
現在は仕事をしていない恵美子は髪型も自由が利いた。

東京には前泊せずに当日の新幹線に乗ることにした。
緊張や不安、興奮で寝られないことは容易に想像できたからだ。
始発の新幹線の中で恵美子は想像を逞しくしていた。
ずっと秘めていた床屋さんでの散髪。それがついに叶おうとしている。
学生時代はショートヘアにしていたが、結婚して幸子が生まれてからは肩より短くしたこともない。
一度短くしてしまうと自分の欲求が高まり、抑えられなくなることが恐かったからだ。

東京駅に幸子が迎えに来てくれた。
久しぶりに会った幸子の髪は肩より長くなっていた。
駅構内で昼食を取ることにした。
「何人かの方の散髪を見守って来たけど、お母さんの散髪を見ることになるとは思わなかったわ」
幸子が笑いながら言った。
「床屋さんに行くことすらハードルが高かったのに、その床屋さんであなたに見られながら散髪されるとは思わなかったわ」
「お母さん泣かないでよ」
また、幸子が笑いながら言った。
「大丈夫よ、でも久しぶりにすごく緊張するわ。あなたの大学受験の結果を待つよりドキドキしてる」
二人で笑った。

幸子の部屋に寄り荷物を置いてから、和子の床屋のある街まで電車を乗り継いだ。
最寄り駅には和子が迎えに来ていた。
お互いに挨拶してから、散髪の話に移っていった。
「スポーツ刈りということで幸子さんから伺っていますが、本当によろしいですか」
「はい」
恵美子は答えた。
「お店では、私の旦那が散髪を見たい男性と一緒に待っています。お店に入ったときには、ライブ中継が始まっていますのでよろしくお願いします」
「はい」
恵美子はやや震えた声で答えた。
和子とは初対面だったが、ネットで何度も、それこそ自分の娘も含めて、女性を散髪する姿を見てきたので、初めて会うようには感じられなかった。
初めての街を歩きながら、恵美子は緊張が高まって来るのを感じていた。
ついに床屋さんで散髪が始まる。しかも多くの見知らぬ男性の中で。
こんなことを何度か体験している娘の幸子が頼もしく感じられた。

「ここです」
トリポールが回転している店の前で和子が言った。
「覚悟は良いですか」
「はい」
恵美子は動揺を含んだ声で答えた。
「私と幸子さんが中に入り、始まりを告げてきますので、中から合図を送ったら入ってきてください」
「はい」
消え入りそうな声だった。

二人が中に入っていき、何やら話している。
何人かの男性の姿も見える。
そういえば、以前の女性のようにあの男性たちに鋏を入れられてしまうのだろうか。
お任せにしてしまったのだから、あり得ないことではない。
幸子がそこまで頼んでいたらどうしよう、今まで考えてもいなかった、想像していなかったことが急に思い浮かんできて、恐くなってきた。
その時、中から合図が送られてきた。

恵美子はドアを押す。
「いらっしゃいませ」
和子が言った。幸子の姿は見えない。どこかに隠れているようだ。
中で待っていた男性たちに軽く頭を下げた。
長い髪が顔を覆った。
「本日のモデルの恵美子さんです」
和子さんが鏡の前にあるカメラに向かって言った。
恵美子は今度はカメラに向かって頭を下げた。
「どうぞ」
和子に促されて大きな散髪椅子に座った。
すかさず和子が椅子の高さを調節して、カメラに合うような位置に動かされた。
椅子が動く電動音とともに恵美子は自分の体が浮き上がってしまったように感じられた。
「ついに床屋さんで散髪されてしまうんだな」
恵美子は心の中でつぶやいた。

和子が恵美子の肩越しにカメラに向かって話しかけた。
「今日はお任せ散髪を頼まれています。髪型はスポーツ刈りにしてもらおうと思います」
恵美子は緊張と不安で自分の顔がひきつっているのが分かった。
両足の間に置いた手を無意識に強く組んでいた。
和子が薄く白い襟紙を恵美子の首に巻き付けた。
黄色いタオル、派手な模様が描かれたケープ、ネックシャッターを恵美子に装着させていく。
手を出すところがないケープを着せられたのは初めての経験だった。
「刈り上げにするから細かい毛が入らないように強めに巻いているけど苦しくない」
「はい」
少し苦しかったが、そう答えた。
すべてが巻き終わると後ろに座っていた男性が立ち上がった。
それと同時に恵美子は以前みたライブ散髪を思い出した。
この男性にバリカンを入れられてしまうのだろうか、恵美子は覚悟を決めた。

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