断髪小説~幸子~

お店に入っても幸子に本当の決心はついていなかった。
いつも行く美容室とは明らかに違う匂いが漂い、押し込めたはずの不安が再びこみあげてくる。
「やっぱりやめます」と言おうと思ったが、
「どうぞこちらの椅子に」という店主の有無を言わせぬような声にやはり逃げることはできないように思われた。

そこにあった椅子は黒くがっちりとしたもので、腰掛けると終わるまではもう立ち上がれないように幸子には感じられた。

「襟を剃るから首元を折っても良いかな」
店主が尋ねてくる。

襟元の開いた服を着てくるべきだったのに、幸子はハイネックの服を着て来てしまったのだ。
「すいません」
消え入りそうな声で幸子は答えた。
店主は太い指で幸子の白いハイネックを折り込んでいく。
「ちょっと我慢してね」
折り終えると店主はタオルを幸子の肩にかけ、襟紙、ケープ、ネックシャッターを巻いていった。
そのケープは美容院にある透けるような薄いケープとは違い、大きな鋏の絵が描かれていた。
全てが巻かれると、不安と同時に興奮もこみ上げてきた。
幸子はここに至る過程を思い出していた。

幸子が自分の趣味に気付いたのは中学生に上がるときだった。
それまでも友達が散髪てくると意味もなく興奮していたのだが、
中学生になりバレー部にあがった友達の良子が刈り上げショートにしてきたときの衝撃は忘れられない。
それまでの長い綺麗な髪はなくなり、白い首、青々としたうなじが丸見えになっている。
思わず話しかけてしまった。
「バレー部ってそんなに短くしないといけないの」
「そうなの。恥ずかしいけどバレーやるからしょうがないようね」
「どこで切ったの」
「ほらすぐそこにある、OOっていう床屋さんよ」
「えっ、あの床屋さんで」
「おじさんも慣れたもので、バリカンで上手に切ってくれたよ」
「触ってもいい」
そのジョリジョリとした感触は幸子にとって初体験の感触だった。
とても気持ちよくずっと触っていたかった。
また、可愛い顔立ちの良子に不釣り合いな刈り上げショートは幸子を興奮に誘った。

幸子は家に帰るとすぐにインターネットで散髪について調べ始めた。
そこには幸子が今まで知らない世界が広がっていた。
幸子はすぐに自分がこの趣味を持っているということを理解した。
同時にこれは人には言えない趣味ということも分かった。
それからの中学、高校生活はそれなりに楽しいものだったが、
一つだけ満たされないものが常にあった。
床屋さんで散髪したい。バリカンで刈られ、前かがみシャンプー、顔剃りを体験してみたい。
だが、人見知りの高校生の幸子にはそれは叶わない夢であった。
そんなとき、ネットで信じられない床屋さんを見つけてしまった。
その店は、同じ趣味を持つ人が通う床屋だった。
夫婦で営んでおり、完全予約制。
夫婦2人ともがその趣味を熟知しており、フェチ心をくすぶるサービスをしてくれるらしい。
しかも、女性にはさらなるサービスがあった。
ネット中継で散髪姿をファンに公開するのだ。公開散髪を選ぶと散髪代はもちろん無料、加えてモデル代まででるらしい。
さらに、ある程度こちらの希望を伝えた上で、ネット中継のファンに髪型を決定させるとボーナスまで出るらしい。
そのページには後ろ姿ではあるが、過去に散髪された女性たちの変身前後の写真が掲載されていた。
長い髪、肩に着かない程度と変身前の長さはまちまちであるが、変身後はどの女性も首がすっきりみえる長さになっていた。
その床屋の所在地は東京だった。
自分もこの床屋さんに行ってみたい。
絶対、東京の大学に行こう。
幸子の進路希望理由はただそれだけだった。

幸子は無事に東京の超有名私大の法学部に合格した。
皆は幸子の努力を誉めたが、幸子の心にあったのは「これであの床屋に行ける」という一点だった。
東京に来てからも、毎日床屋のページを見ていたが、いざ行くとなると決心がつかなかった。
明日こそ予約しよう、来週こそ、来月こそと思いながら、年が明けて2月になっていた。
試験も無事に終わり、大学生の特権である長い春休みが始まる初日、ついに幸子は決心した。
この春休みは実家に帰るつもりはないから、どんな髪型になっても両親に何かを詮索されることはない。
最悪の場合は4月まで家にひきこもっていればいいや・・
そう考えることで決心をつけ、例の床屋さんに連絡した。。

幸子はメールで自分の趣味について綴り、ネット公開散髪、髪型も誰かに決定されたいということを伝えた。
自分の髪の長さは背中の真ん中に届く黒髪であることを伝えた。
すぐに返信のメールが届いた。
公開散髪なら2週間後の土曜日15時が空いているというこだった。
また、その前に一度お店に来てもらって、打ち合わせをしたいということだった。

翌日の夜、幸子は待ち合わせのスタバを訪れた。
床屋の奥さんは目印の持ち物を持っていたのですぐに分かった。小柄な人だった。
簡単な自己紹介の後、散髪についての話が始まった。
「どれくらい切ってみる」
「うんと短くしても良いと思っています」
「短くしたことはあるの」
「いえ学校に上がってからは一度もないです」
幸子はこの床屋さんで散髪されるのを夢見て中学生になってからは一度も短くしていないのだ。
「うちはネット中継散髪や髪型決定もしているけど、やってみる気はある」
「はい挑戦してみます」
ネット中継や髪型決定には躊躇いもあったが、この際挑戦してみたかった。
「分かったわ」
奥さんは深く詮索はしなかった。
そこにスーツ姿の旦那さんが現れた。
「この人は仕事帰りで普段は会社員なの。理容師は私で、幸子さんのような趣味をお持ちの人が予約してくれた時に手伝ってもらうの。だから、時間は平日の夜遅くか、土日になってしまうの」
それから少しの間、旦那さんも交えて他愛ない世間話が続いた。
「ところで髪型もフェチの人に選んでもらって良いということだけど・・」
「はい、坊主以外なら構いません」
人見知りの自分からこんな言葉が出るなんて、幸子は自分でも意外だった。
「じゃあ、当日に中継に参加したフェチの人に決めてもらいましょう」
奥さんは躊躇なく、フェチという言葉を連発した。

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