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ちっぽけな正義感と私たちの幸せ

自民党の総裁選、真っ盛りである。争点は「政治と金」、つまり、昨年末から世間を騒がせているパーティー券のペイバックの話らしいが、これがそんなに一大事なのだろうか?、と私は思ってしまう。

「政治と金」の話は今に始まった事ではなく、私が子供の頃から、これを問題にしては「クリーンな政治家」を求めてきた。私の最も古い記憶は田中角栄の退陣と、それを受けた三木武夫、福田赳夫の台頭だが、田中角栄の存在感が子供心にも未だはっきりと記憶に残っているのに対して、お後を引き継いだ「クリーンなお二人」の影が薄い印象は、私に限った事だろうか?

民主主義だの国民主権だの、言葉ではなんとでも云えるのだけれど、私が政治に求める事は、飯を喰わせてくれる事と外敵から守ってくれる事だけだ。要するに、ジャイアンが居てくれれば良いのである。そして、ジャイアンがちゃんと飯を喰わせてくれるなら、外敵をやっつけてくれるなら、彼が多少の脱法的な蓄財をしたところで、それをとやかくは云わないだろう。私は、弱い人間だ。
飯や生命・財産よりも理念の方が大事と云う人も居るのだろうけれど、わが近隣諸国に、ジャイアンに率いられた国が幾つもある事を見るに、やはり人も動物と同じで、飯を喰わせてくれる者、守ってくれる者に付いていくものなのだろう。みんな、そんなに強くない。

翻って「パーティー券」である。ここから更に、安部元首相の暗殺まで遡って事の流れを見てみると、一連の出来事で起こった事は、いわゆる「積極財政派」の首領と有力議員の表舞台からの一掃である。ジャイアンを葬って「清貧の理念」に身を任そうとしているのだけれど、これでほんとうに良いのでしょうか?

さて、自民党の総裁選が真っ盛りである。積極財政派の後継者も立候補するらしいが、どうやら劣勢のようだ。この人以外は誰が総裁になっても緊縮財政まっしぐら。また、デフレに後戻りかもしれない。
とは云え、我らが総理大臣が誰かと云う事よりも、アメリカ大統領が誰になるのかの方が、私たちの生活に直結するような気がしないではないが。



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