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「世界史は化学でできている」に出てくる化合物の構造式(5) アリザリン

アリザリン

「分子構造をもとにした「分子設計図」から合成した染料が、アカネの赤色染料アリザリンである。1868年、ドイツのカール・グレーべ(1841~1927)とカール・リーバーマン(1842~1914)は、アリザリンの分子構造を決定して、コールタールの成分アントラセンから「アリザリン」の合成に成功する。」
 アリザリンは下記のような構造です。

アリザリン


 パーキンが見つけたモーベインは、それ自体は天然物ではありません。アリザリンは天然物の染料を化学合成した初の合成染料とされています。今の「天然物合成化学」につながる先駆的業績といえるでしょう。

 アリザリンの工業化については、関東化学株式会社の情報誌The Chemical Timesの1986年のNo.1号に詳しい記載があります。

The Chemical Times, 1986, No. 1 (関東化学)
薬学ゆかりの外国人(21) -カール・リーベルマン Carl Theodor Liebermannー 日本薬史学会 根本曽代子

https://www.kanto.co.jp/dcms_media/other/backno2_pdf01.pdf

 まずリーバーマンはまずアリザリンの構造研究を計画し、亜鉛末と共に乾溜することでアントラセンが得られたことから、骨格にアントラセンが含まれると推定しました。そして当時勃興していた石炭化学の成果として、タール蒸留からアントラセンが副生することがわかっていました。そこから研究を始め、アントラセンに代えてアントラキノンを出発原料として、2年の歳月でアリザリン合成法を開発しました。時に1868年、リーバーマンは24歳、グレーべは25歳という若さです。
 根本によると、リーバーマンとグレーべはアリザリン合成法に関する特許を1869年6月25日にイギリス特許局に申請しました。ドイツは当時まだ特許制度が無かったといいます。一方で、モーブを開発したイギリスもパーキンもアリザリンの製法を研究していましたが、わずか1日違いで特許権が取れなかったといいます。このあたりの詳しい内容は改めて調べたいと思います。
 合成アリザリンは天然品に比べて染色も鮮明で、ドイツでは合成アリザリンが次々と工業化されました。この結果、フランスを主な産地としていた天然アリザリンは姿を消したといいます。


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