見出し画像

立山アルペンルート

2021年66才、もうすぐ67才になる頃
脳梗塞になった。
突然だった。
啓示みたいなものは何もなかった。
今振り返れば心筋梗塞で突然死していても
不思議はなかったと思う。
父に起きたことが息子の自分にも起きた。
幸いなことが重なって言語半身麻痺のような
後遺症はなかった。
退院して市民プールで泳ぎリハビリする中で
立山に行きたいと強く思うようになった。


父は肺がんで亡くなった。
80代後半だったのでガンの延命治療はせず
自宅で療養して月一度通院を介添えしていた。
父が亡くなるまでは再雇用の身分で働いていた。
診療は土曜日にしてもらっていた。
それまで父とはあまり話らしい話を
したことはなかった。

父は70代半ばで脳梗塞を患い
半身が不自由になっていた。
リハビリで多少良くはなったものの
不自由な体になってから忘れ物を取り戻すかのように
日本全国を旅行し始めた。

父は15才から働き始め働きづめの人生だった。
無学だったが地理が好きだった。

知床

一度地図を持って来て何処を旅行したか
印が付けてあり説明を聞いたことがある。
主に鉄道を利用して北海道から沖縄まで
殆ど足跡を残していた。

ある時は新横浜から新幹線で下関まで行き
山陰本線を通って観光したと言った。

京都から帰ってきたと思ったら、
舞鶴から小浜へ行ったと言う。

米原経由で帰ったのかと問うと、
直江津まで行ったと言う。

長野から新幹線で帰ったとのかと問うと、
新潟へ行ったと言う。 

新潟から上越新幹線で帰ったのかと問うと、
秋田へ行ったと言う。
呆れた。

秋田から青森へ出て東北新幹線の終点だった八戸から新幹線で帰ったと言う。
呆れてしまった。

どうやら裏日本を見て歩きたかったようだ。

病院の待ち時間の間旅行した旅先での出来事を
楽しそうに話ししていた。
日本中旅行して何処が良かったか聞いた。
知床と立山だと言う。

特に立山はツアーで行き個人旅行でも行ったと言う。
知床には行ったことがあったが
立山に行ったことがなかった。

退院して冬をプールでリハビリしながら
4月アルペンルートの開通に合わせて
雪の大谷を見に行くことにした。
どうせ行くなら晴れの立山を見たいと思った。

晴れの雪の大谷


2022年4月 開通したばかりのアルペンルート立山、魅了された
雷鳥と会った

親父が見たかもしれない晴れの立山を見て
秋の紅葉 と 冠雪した初冬の立山
を見たいと思った。

自宅へ帰ってしばらく、
立山に登頂したい
と思い始めた。

体力づくりのため丹沢に登り始めた。

2022年9月 秋の立山
2022年9月ついに立山雄山3,003m
初めての3,000m峰に登頂した
2022年初冬 冠雪した立山の一乗越しまで
チェーンスパイクを使い登った



脳梗塞になっていなかったら
こんな辛いことはしていないと思う。
脳梗塞になったことが
前向きに行動することを教えてくれた気がする。

2023年10月 仲間が立山に行きたいというので
一緒に行った


晴れた立山に 生ビールで乾杯


生きていることを楽しむために



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?