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【昭和のあるある】思い出日記

みなさんこんにちは!

私はO23(OLDにーさん)。つまり「おじさん」とよばれる人種です。
種族としては『昭和族42年型』。なかなかいいお年になってきました。

ここでは、仕事を離れ『昭和族』の思い出話を書かせていただき、
「あ〜!そういえば」とか「そうそう!」など懐かしい思い出を
共有できればと思います。もちろん、平成族のみなさまにも
『へぇ〜!』と思っていただける内容もあると思いますので、
単純に楽しんでいただければと思います。

1.昭和族について

昭和族は約60年間余りにわたり繁栄した文明にいた種族であり、
特に昭和族10年代は「第二次世界大戦」の中で生まれた種族。
主に我々世代の両親が該当します。
この大戦の中で生まれ育った方々は、戦中、戦後にかけて、非常に
大変な思いで生きてこられました。
現在の日本を再興した種族といえるでしょう。

続いて昭和族20年〜30年代。
こちらも戦後の復興期に生まれた種族であり、決して裕福な
家庭ばかりではなかったと思われますが、この時代に
生まれた方々は、「東京オリンピック」を控え、日本が復興や成長
を間近で見てこられた年代でもあり『街頭テレビ』をみんなで見て、
楽しいんでいた種族でもあります。

そして、昭和族40年代
私はここの種族に該当します。
この種族は、戦後20年が経った日本に生まれ、後に書きますが
『バブル』も経験した種族であります。
日本が一番大騒ぎした時代を生き、どうにもならない時代を
生きてきた種族ともいえますが、その辺も詳しく・・・

さて、昭和族50年代 60年代
この時代の皆さんが進学や就職を考える年齢になった頃、日本は
バブルが弾けた影響により長くデフレ状態にあったため、
辛い経験をされた方も多かったことでしょう。
特に60年代は3年間しかなく、長かった「昭和」が終焉を
迎える時代の種族といえます。

2.昭和族の住まいと暮らし

昭和時代の住まいをわかりやすくいえば「サザエさん」の磯野家
のような暮らしと、3階建てや5階建ての建物に夫婦と子供が
住む公営・公団住宅等のような団地住まいでした。
この団地住まいが今では非常に懐かしく、O23の成長に大きく
影響したのかもしれません。

私が住んでいた団地というのは市営住宅の5階建て。
今では考えられませんが、エレベーターというものがなく、
毎日4階までの階段を上がったり降りたり・・・。
でも、この階段を通じて様々なドラマがありました。

<昭和の近所付き合い>
この階段を通じ、当時はいろんな匂いを感じることができた
ものです。
例えば1階の山田さんちは今日は焼き魚で、2階の佐藤さんちは
カレーなんだ・・・。
ウチは・・・?という夕飯を匂いで感じることや、

「どんどん!」とドアを叩く音(チャイムは付いてませんでした)
でドアを開けると、5階のおじさんがベロベロに酔っ払って、
私の父親に「呑もう!」と言って我が家に上がりこんでくる。
慌てて母親がおつまみを作ったり、時には買いに行ったりなどと
いうのも日常茶飯事。
そのおじさんが我が家でご飯を食べて帰ることも多く、
奥さんも呼ばれてはおかずを持ち寄って一緒に食べることも多く
ありました。
そしてある時は、2階の佐藤さんのおばさんが慌ててやってきて、
「うちの◯◯(息子の名前)が暴れてる!ちょっと来て!」
そして父が飛んでいって◯◯を抑え込む。
こんなこともありました。
ちなみに、今でも◯◯は私の年老いた父が怖いらしいですが・・・。

昭和の住まいと暮らしはプライバシーや個人情報など、
あまり厳しくなかったので、地域コミュニティーが形成され
やすかったという時代でありました。

3.昭和の遊びと買い食い

次回投稿にてお楽しみください

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