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【昭和のあるある】思い出日記

3.昭和の遊びと買い食い

なんといっても、昭和を語る上で欠かせないのが「遊び」。
けん玉やヨーヨーも木製のものではなく、ブラスティックで
できたものが発売され、1週間に1回はヨーヨーの検定試験が
行われたり、けん玉の検定試験が行われたものでした。
これは、某飲料メーカーさんがプロモーションの一つとして
行ったものだったと記憶しています。
2.の住まいと暮らしで書かせていただきましたが、当時私は
団地暮らしで、一つの建物に約30世帯ほどが住んでいて、
その中には私の学年を中心としたら上下2歳ぐらいの上級生や
下級生がいる家庭が多く、総勢10数名の子どもコミュニティー
がありました。
ここには上級生や下級生の友達であっても入ってこれず、一緒に
常にこのコミュニティーで遊んでいたものです。
住んでいた建物の庭でキャッチボールをしたり、狭いにも
拘らず野球をしていました。
時には軟球がベランダに入ったり、ガラスを割ることも・・・
でも、そんな時にもみんなで謝りに行ったり、ボールを取って
もらったものです。
また、夏休みになると「泊まりっこ」といって、いきなり
「A君の家に今日泊まろう!」ってなるわけで、当然、晩御飯は
自分の家で食べる時もあれば、A君の家でごちそうになることも
ありました。
時には、お風呂から晩御飯、お泊りまで友達の家でお世話になる
こともありましたが、みんな楽しく夜中までワイワイしながら
過ごしたものです。

「買い食い」
近所には駄菓子屋さんがあって、お小遣いの十円玉を握りしめて
駄菓子屋さんに走って行ったものです。
きな粉餅、あめ玉、妙な色のジュースや粉ジュース
中にはチューブのチョコレートやゼリーなど、いろんな駄菓子が
あったものです。
小学生の頃はひと月のお小遣いが大体100円〜300円。
つまり、このお小遣いで1ヶ月過ごさなくてはなりませんでした。
もちろん、今でもショッピングセンターに行けば駄菓子屋さんが
あって、懐かしいものも置いてありますが当時とは違って
きているようです。
また、今でもありますが「ベビースター」は当時袋に
入っていたため、その袋に熱湯を入れて、ふやかしてから
食べることもありました。
平成族や令和族には考えられないかもしれませんが、
「カップヌードル」は当時高級品で、とても小学生のお小遣い
で軽く買えるものではありませんでした。

<お肉って・・・?>
これは我が家ならではのことかもしれませんが、「ステーキ」
「すき焼き」が豚肉でした。
初めて食べた「ステーキ」肉の厚さ1.5センチぐらいの厚さの
肉はとっても魅力的であり、当時放映されていた
『はじめ人間ギャートルズ』のマンモスのお肉ぐらいインパクト
があったものです。
しかし・・・いわゆる「ポークステーキ」を食べて大満足して
いた私が「ビーフステーキ」を初めて食べるとどうなったか?
想像できないかもしれませんが、腰が抜けるほど美味しかったこと
を今でも覚えています。

<ご近所付き合い・・・?>
前にも記載した通り、大人も子供も結構自由に行ったり来たりの
コミュニティーができていて、そんなに裕福な家庭はなくても
楽しい日々でした。
ある日、A君のお父さんが「今日は子供達を遊びに連れて行って
あげるよ!」と言ってくれたので、A君とその弟、B君と私の4人
でどこに行くのか?わからないながらも出かけて行きました。
着いたところはなんと『オートレース場』ものすごい音とスピード
で走るバイクに驚いたのを覚えています。
行ったところはともかく、子供ながらにA君のお父さんの趣味
お付き合いした1日があったことも覚えています。
確か・・・あの日は美味しいものをご馳走になったので、
A君のお父さんはきっと儲かったのでしょう。

4.昭和の上下関係(中学校編)

次回投稿につづく


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