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勝手にしやがれ。

ジャン・リュック・ゴダール監督作。
ゴダールは1930年生まれ、“ヌーベルバーグ”の代表格とされる映画監督です。

ヌーベルバーグとは1950年代から60年頃にかけて作られたフランス映画のジャンルのこと。
映画評誌で「新しい波きたる」と書かれたのがきっかけだとか。
トリュフォーやゴダールなど若い監督たちが活躍し、それまでの名作を打ち壊すような自由奔放な作品を発表しました。
ロケ撮影や即興的な演出が多用されたドキュメンタリーのようなリアリティが特徴的です。
この映画にもでてくる特徴的な撮影技法が“ジャンプカット”。
撮影した長いフィルムからいらないところを取り除いて再度くっつけ直す、という編集法です。
レストランの会話の場面とか、ひとつづきの会話のはずなのに窓の外では車がやたら猛スピードで走っていたり、と絶妙な味わいを与えています。

それから、「勝手にしやがれ」というタイトルは日本版独自のもの
冒頭で盗んだ車を意気揚々と走らせる主人公のセリフ「海が嫌いなら。山が嫌いなら。都会が嫌いなら。勝手にしやがれ。」から取られています。原題は“À bout de souffle”
英語版では“Breathless”。
「息もできない」とか「息切れ」という感じでしょうか?

(そういえば「俺たちに明日はない」も日本版オリジナルのタイトル。
原題はシンプルに「ボニーとクライド」でした。)

あらすじはこんな感じ→
自動車泥棒のミシェル(フランス人)は追いかけてきた警察をたまたま車内にあった拳銃で撃ってしまう。
友人に貸していた金を受け取るためにパリにやってきたミシェルはかつての恋人の新聞記者見習いパトリシア(アメリカ人)に会いに行き、彼女を口説くがパトリシアのもとにも警察がやってきて・・・。

大きく見れば“男女の逃避行”が軸になっているわけですが、ふつう“逃避行”って二人の間に深い共通理解とか信頼があって成り立つものですよね?でも、この映画でミシェルとパトリシアは徹底的と言っていいほどにわかりあえていないんです。それがよく表れているのが、たびたびでてくるこんなやりとり↓

ミシェル「……一か八かだな」 
パトリシア「一か八かって?」

アメリカ人のパトリシアはミシェルの話すフランス語を完全には理解できていません。
「〜って?」という“聞き返し”はアメリカ人とフランス人、男と女の間にあるどうにもならない距離感のモチーフとして幾度も繰り返されます。

この映画、いちばん秀逸なのはラストシーン、映画の“閉じ方”だと思います。
ある朝、カフェに出かけたパトリシアはコーヒーを頼み、そのままの勢いで電話を借りてあっさりと警察に密告してしまいます。
ジャンプカットのせいもあって本当に無邪気な、無垢な感じの「密告シーン」になっています。
そのあと、部屋に戻ったパトリシアがミシェルに密告を告げるシーン。
目線を合わせないままでお互いの噛み合わない独白が続きます。
ドキュメンタリーのようなタッチから急にちょっとした演劇みたいな感じに。

「あなたを愛しているのかわからなかったの。これが愛なのかを知るために一緒にいたわ。私はひどい仕打ちをした。つまりこれは愛じゃないのね。」

と歩きながら淡々と話すパトリシア。これはなかなかすごい台詞・・・。
ちょっと怖いくらいの悟りきった感じというか、飄々とした冷たい魅力を感じさせます。
分かり合えない男女、という結末を「悟った」パトリシアに対して、それが見えていない(あるいは諦め切れていない)ミシェル。
結局は警察に追われ、走って逃げるものの撃たれ倒れてしまいます。
次のセリフは倒れたあとのやりとり。

ミシェル「最低だ。」            パトリシア(警官に)「なんて言ったの?」  警官「君は最低だ。と」           パトリシア「最低って?」

ここで、あの「〜って?」が繰り返されます。
徹底的なまでに“わかりあえない”ことを描いた切なくもキュートな結末です
そして、パトリシアが唇を指でなぞる仕草を正面から捉えて映画は終わります。
この“唇を指でなぞる”仕草は冒頭、ミシェルが新聞から顔をあげたところでも出てきます。
さらにラストで“突発的に警官に撃たれる”という描写は、冒頭でたまたま盗難車にあった拳銃で追ってきた警官を撃ってしまうところと対照になってるんです。
ちなみにここで使われる「最低だ」dégueulasseという単語は「吐き気を催させる」というようなニュアンスで当時の映画としてはかなりショッキングな表現だそう。

映画の中盤ではミシェルがパトリシアをじっくりと口説いていく様子が数十分にわたって描写されます。
いかにも自由人らしいミシェルの危うい魅力と、パトリシアの絶妙なかわいらしさ。
そしてフランス映画らしい素敵な言葉に満ちた場面なのですが、その中から個人的な名台詞を2つ引用しておきます。

「女は8秒後には寝ない、8日後なら良いと言う。8秒と8日 同じようなものだ。8世紀にしちまえ。」

悲しみか無か、どちらを選ぶ?ー「無だね。悲しみなんて妥協案よりマシさ。すべてか無かどちらかだ。今わかった。」

そして、エンドロールにはルイ・アラゴンの詩によるシャンソン「幸せな愛などない」が。
密告のあと、二人の噛み合わない会話の中でミシェルが「幸せな愛などない。逆に不幸な愛もないんだ。」と呟く場面もありますが、恋愛のことだけでなく、人生そのものの“どうしようもなさ”みたいなもの、その味わいのことを歌っているような気がします。
エンドロールみたいに歌詞の対訳を置いておきます。


“人生に確かなものは何ひとつない
その強さもその弱みも、その心も
腕を広げたと思っていてもその影は十字架の形をしているではないか
幸せを掴もうとしてそれを壊してしまう
人生は奇妙な苦痛に満ちた別離
幸せな愛などない

わたしたちは武器を持たぬ兵士に似ている
別の運命のために服を着せられた兵士
朝起きるのがなんの役に立つのか
夕方にはすることもなく所在なげな兵士
人生にこう言って涙をこらえるのだ
幸せな愛などない

生き方を学んでいる間に手遅れになり
私たちの心は夜に声を合わせて泣く      震えを償うためにどれほどの悔恨が要るのか
歌を書くためにどれほどの悲しみが要るのか
ギターの調べのためにどれほどのすすり泣きが要るのか
幸せな愛などない”

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