人は一人では生きれない
こんにちは。おかゆです。
変人がホンキで生きてるコミュニティ『心象セカイ再考(シンセ)』を運営しています。普段はmindmapとコーチングを用いてホンネの言語化をお手伝いし、自分の人生をホンキで生きるサポートをしています。
今回は、身近なところで夫婦が誕生したので、その出来事に際し感じたことをつらつらと。
ただ書き留めて、この気持ちを、ここに固定したい。
今まで結婚式に呼ばれることはあったのですが、今回は個人的に「この人と結婚します」という紹介をうけてお会いしてきました。
プライベートなことなので詳細には書きませんが、感じたことを端的に一言で表すと
『あ、なんか二人の雰囲気、似ている』
趣味や好きなものなど、そういった外界に表れている現実的な面でもそうなのだけれど、もっと深い内面の部分で。
持っているその雰囲気。
会話や同じ空間にいることで感じられるそのオーラ。
なんだか落ち着くなぁと思いました。
家族も、友人も、親戚や友人の友人って、なんだか近しい、通じするものがあるなぁと感じることがあるのではないでしょうか。あの感じでした。
うん、きっと、明るい未来があるんじゃないかなぁ。
私個人の反省点は、話しやすさに甘えて、わりかしいつものテンションで
『メタ認知!』『洞察!!』
みたいなノリで喋ってしまったよね。
びっくりさせてたらごめんなさいませ…
ここからちょっと私の個人的なお話を。
26歳の時にHSP、HSS型HSPを知りました。それから様々な自己理解ツールを経て『(概算で)私って人口の0.5%未満くらいの希少な性質なんか…』とわかってきました。そりゃあ、理解されたと思われる瞬間が少ないわけだ、と。
話が通じないって、めちゃくちゃ孤独です。
同じ言語しゃべってるのに「わかった」という通じ合える感覚がないんです。『十分な安心』の感覚を感じにくい認知のゆがみを抱えてきたので、そのあたりも絡みますが、もともとの生まれ持っての認知スタイルが結構独自らしい。
街中や人混みの中にいると、同じ人間でもこんなに違うもんかと、時に絶望する。この世界を創生し、コントロールしうる存在がいるとしたら、この世界はエラーだらけではないかと、本気で訴えたい。
そんな絶望を感じることもありますが。
私が30年間生きてこれたのは、『孤独』というものや『人間社会の一般的規範に違和感を覚える異質さ』を抱えつつも
そのまんまの姿で洞察炸裂させてる私に対して
と言ってくれる人がいたから。
中身を理解して議論、話し合えたら良いけれど、それ以上に
「一旦受け止める」
この関わり方をしてもらえるのが、私は心底救いです。
今の仕事も
「周りに自分の本音をいう機会がなかった」
「周りに話が通じにくかった」
といった、孤独な経験をしてきた方に向けて、私は受け止められるし、ひとつ居場所になれると思っています。
私がこれからどんなに強靭な精神を鍛え上げたとしても、一人では生きていけない。そんな私を支えてくれる身近な繋がりに、心から感謝。
生きててよかったね。
私も生きててよかったよ。
幸せになってくれ。
手紙のような記録。
人生を振り返るその機会に立ち会いたいな。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、またお会いしましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?