お笑い初期衝動
31.「おもしろい」とは何か
「簡単なエピソードトークを」と言われてるのにコントをもっていってしまった、その翌週。
さすがに今度は、ちゃんとエピソードトークをもっていき。
「布団のセールスに来た人の営業トークが強引すぎて無理があった」という話を披露した。
その日のネタ見せが終わり。僕達養成所の同期はだんだん仲良くなってきて、数人でマクドナルドに行った。
そして、エピソードトークの出来について、お互いに思うことを自由に喋った。
僕が披露した布団のセールスの話は、わりと同期に評判がよかった。
「先週のコント見たときはなんやこれ思たけど、今日の喋りはおもろかったわ~」などと言われた。
正直、布団のセールス話は、僕の中ではなんてことないエピソードだったのだが。
では、なぜこれが評判がよかったのだろうか。と僕の中で考察した。
なるほどな。そういうことか‥。
同期と話をする中で、僕は重要なことに気がついた。
それは。
お笑いの「おもしろい」「おもしろくない」の評価は、つまるところ、“印象”である。ということだ。
おもしろい世界観であっても、そのおもしろさを伝わるように演じることができなければ、「おもしろくない」という評価に着地する。
演じる者が頭の中で描いていることが、いくらおもしろかろうが、それは評価とは関係ない。
逆に、ちょっとおもしろいぐらいの話であっても、それをしっかり伝える演出力があれば。
それはストレートに「おもしろい」という評価に着地させることができる。
つまりは。
お笑いとは、おもしろいことを考える作業ではなく。いかに、見てる人を「おもしろい」と錯覚させるかの作業である。
同期との会話から、僕はそういったことを悟った。
僕的には、大いにスベったマジシャンのコントの方がおもしろい世界観であると思ったが、コントなどやったこともないので、演出力が全く足りず、「おもしろい」に至らなかった。
一方、布団のセールスの話は、あったことをただ説明するだけなので、そこにさほどの演出力は必要なかった。
評価がわかれた一番のポイントはここであろうと、僕は分析した。
「おもしろい」「おもしろくない」とは何ぞや。
お笑いとは、誠に奥が深いものである。
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