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お笑い初期衝動

1.真っ当な生き方とは何ぞや

当時23才。
僕は形上、真っ当な社会人たるべく就職し、サラリーマンをやっていた。
“形上”と枕詞がつくのは、望んでサラリーマンをやっていたわけではないからだ。

実のところ、既に何年も前から「お笑い芸人になりたい」という気持ちはあったが、ずっと口にできないでいた。

大学4年分の学費を親に出してもらったあげくお笑い芸人をやるなどというのは、親への背信行為のように思えていた。

お笑い芸人は大学を卒業しなくてもなれるもの。それをわざわざ大学を経由してからお笑い芸人になるなんて、学費を出した親からしたら、たまったもんじゃないだろう。
ましてや、僕の実家は子供の頃からかなりの貧乏であり。親も相当無理して、僕の学費を出してきたことはよくわかっていた。

そんなこんなで、"真っ当な社会人"になるという流れに抗うこともできず、第一希望でも第二希望でもないサラリーマンをやっていた。

社会への埋没。
これは親や社会との縁を切るぐらいの極端な行動をとらない限り、逃れられない現実なのだろうか。。

人生経験の少ない若き青年には、お笑い芸人をやることは、もはや非国民になることぐらいに思えていた。

そして非国民になる勇気、社会との縁を切る勇気が出せず。また、そんな勇気のない自分に嫌気がさすような思いもありながら。
サラリーマンという、とりあえずは社会から後ろ指をさされない、建前上の、仮の姿で過ごしている。といった具合であった。

当時は、今ほど多様な価値観はまだ認められてない時代であり。
またそう思い込んでる、頭でっかちの若き僕でもあった。


お笑いの世界に飛びこみたい。でも言えない…。
いや、でも自分の人生じゃないのか!?


“真っ当な生き方”とは一体何だろうか。僕は、悶々と自問自答を繰り返すばかり。

親や社会が認める生き方、レールの上をそのまま進むことが、真っ当な生き方なのか?
いや、自分のやりたい道に進むことこそが、人間としての、本来の真っ当な歩みではないのか?

どっちなんだ?



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