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お笑い初期衝動

2.貧乏家の掟

前回、"僕の実家はかなりの貧乏で、親は相当無理して僕の学費を出してきた"と書いた。

「お笑い芸人をやりたい」とすぐ言えなかったのは、今思うと、貧乏育ちの弊害でもあったのかもしれない。

この辺りは、貧乏育ちの経験がない人にはピンとこない感覚かもしれないので、子供の頃の奥山家がいかにの貧乏だったかを、もう少しだけ詳しく書こう。


僕には兄と妹がいて、3人兄弟だった。
子供の頃に、父が口ぐせのように言っていた言葉がある。

「大学に行かすのは1人だけやぞ。」

2人以上の大学の学費を出すのは不可能である、というのを幼い頃から頭にたたき込まれていた。

更に、「予備校に行かす金はないからな。」「大学は国公立しか無理やからな。私立大の学費を出す金はないからな。」と、とにかく奥山家には財源がないというのを口酸っぱく言われていたのだ。

そして3人兄弟の中で最も学校の成績が良かった僕は、大学に行く権利を獲得していた。

なのに、高校生のときに受験ノイローゼに陥り、成績は急降下。
結局、国公立大は落ちて、偏差値の低い私立大に行くのがやっとであった。

つまり、「大学は国公立のみ」の奥山家の掟を破ってしまい、親に高い学費を負担させてしまった、という思いが強く存在していた。

その上で、大学を卒業したというのに「芸人になりたい」などと僕が言い出そうものなら、親は白目むいて失神するんじゃなかろうかと本気で心配したのだ。

僕には、細胞の隅々にまで貧乏エキスが染みわたっていた。



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