ダイナミズムな世界
この世界(芸能界)は、いいときは過剰にほめられ、悪いときは何でも悪く解釈されてしまうものだろう。
天にも昇る気分になったかと思えば、深い深い底に沈んだような気分に一瞬で切りかわったりする。
でもそんな、ダイナミズムな感情の起伏を味わえるこの世界が大好きで。
芸人を志す前の一大学生、一サラリーマンだった頃。
僕は日常を非常に退屈に感じていた。
そして、"この平凡な日常、退屈だよなぁ"を数少ない友達とも共有できないでいた。
気がつけば僕は、感情の穴埋めをするためか、仮想の話し相手を想像しながらの独り言がやたら多くなっていた。
"僕がこう言ったら、友達が共鳴してこんなふうに言葉を返してくれて。それに対して僕はこう言って。お互いのノリを一緒にゲラゲラ笑って‥"
そこに誰もいやしないのに、目に見えない仮想の人と理想的な会話を楽しもうとしていたのだ。
これ冷静に考えたら、だいぶ頭がいっちゃってる奴である。
こんな人がいたら友達になりたいか。僕自身、絶対こんなヤバい人と友達になりたくない。
一言でいえば、僕は著しく社会性の欠如した奴だったのだ。
僕は芸人になりたいと思った。
芸能界は、欠点が一転して価値のあるものになることがある。
ブサイクな顔面が武器になったり、貧乏が武器になったり。また、社会性のなさ故におもしろみに繋がることすらある。
そんな価値観をひっくり返せる世界にいきたいと思った。
たとえ社会からドロップアウトした奴だと後ろ指を指されても、平凡な日常を脱して、良いときも悪いときも心の振り幅を大きく過ごせるであろう、ダイナミズムを味わえそうな芸能界を志したいと思った。
時は過ぎ。
20年以上前のあの頃と違い、"芸人になる"という人生の選択肢も、一定の市民権を得た時代になった気がする。
「社会からドロップアウト」という、そんな大袈裟な世界でもなくなった。
僕も年をとり、心も体も若い頃より無理がきかなくなり。
若い頃に比べて、感情のダイナミズムを味わえない体になってきた。
もはや、"売れる"という観点でいえば、明るい未来は何も見えない。
自分に問いかける。
僕は芸人を惰性でやっているのだろうか。
いや。
やっぱりこの世界が大好きなんだと思う。
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