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原発事故12年目の福島県浜通りを学生と歩く~Z世代と探るジャーナリズム(4)

福島第一原発の地元、大熊町で

 青地に白い字で「GES学習館」、その上にやや小さく黄色っぽい字で「大熊校」と浮き上がるように記されたその看板は、出入りする人がいなくなって12年近くがたつというのに、鉄骨造り2階建ての2階に通じる階段の入り口に掲げられている。その看板の下には、草たちがコンクリートとアスファルトの境のわずかな隙間から立ち上がり、まるで人間の侵入を阻もうとする意思をもっているかのように、大人の胸ほどの高さまで伸びている。階段の壁沿いに何本ものつるが緑色の葉をところどころにつけ、這い上がっている。

栃久保さんがかつて塾を経営していた建物の玄関の周辺=2022年9月22日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 JR常磐線大野駅の東口から歩いて5分ほど。ここ、福島県大熊町でかつて、栃久保寿治さん(68)は学習塾「GES学習館」を経営していた。南10キロほどの楢葉町にある自宅が本校で、ここ大熊校は震災の4年前に新たに開設し、生徒数を伸ばしつつあった。しかし、2011年3月11日、楢葉町でも大熊町でも原発事故のせいでその経営を断ち切られてしまった。

 学習塾があった2階では、間仕切りの壁が、廊下側の壁から外れ、天井からも外れて斜めに横倒しになっている。窓ガラスはサッシごとすべてなくなっている。天井の一部が破れてしまっている。

 「11年と6カ月ですけど、手つかずの状態ですね」

 私たちの前で栃久保さんはそうつぶやく。

 「現実を見ないと分かりませんからね」

震災発生の日まで塾を経営していた建物の中を歩く栃久保寿治さん=2022年9月22日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 私たち、上智大学文学部新聞学科の教員である私とそのゼミ生徒、あわせて27人は2022年9月22日朝、栃久保さんのご厚意により塾の跡地を実地で見せてもらった。

 2011年3月11日から15日にかけて炉心溶融事故を相次いで起こし、放射性物質を放出した福島第一原発から西に4キロ半。このあたりは、同月12日朝に避難指示が出され、翌月22日に警戒区域に切り替えられ、その後、帰還困難区域に指定された。このため10年以上、申請して許可を得なければ立ち入ることができなかった。だれでも入れるようになったのはついこのあいだ、2022年6月30日のことだ。大野駅周辺の「特定復興再生拠点」として避難指示が解除されたのだ。
 
(この原稿は、2023年3月8日発売の月刊誌『世界』2023年4月号のために執筆し、「Z世代と探るジャーナリズム 連載第4回 原発事故12年目の福島県浜通りを学生と歩く」とのタイトルで同誌に掲載された。この原稿に記した年齢や学年はすべて2023年3月8日当時。)


環境省が被災建物等解体撤去等及び除染等工事

 並びの建物の一階に「コインランドリーおおくま」がある。洗濯機に入れられかけたそのままの状態で放置されたタオル、ズボン、下着……。震災前の2010年から11年3月にかけての時期の話題を載せた週刊誌やそのころ出た漫画誌が折り重なっている。精算機や自動販売機の開閉口に変形があるのは、おそらく泥棒が無理やりこじ開けようとしたのだろう。

 壁に貼り紙がある。「ダックスフンド 里親探しています!!」と書いてある。5匹の子犬の写真とともに、福島県双葉郡の市外局番0240から始まる電話番号が問い合わせ先として記されている。電話をかけてみると、「この電話番号は現在使われておりません」。

 事務所の郵便受けに、「ウルトラパトロールカード」と表題の入ったチラシが差し込まれている。「全国から来ている警察官がパトロールしています」と説明が書かれている。各地の都道府県警察から福島県警に特別に出向してきた警察官たちの愛称は「ウルトラ警察隊」。チラシには「ウルトラマンのシールが貼ってあるパトカーに乗っていますので、見かけた際は、気軽に声をかけてください」とある。

 除染などの作業にあたる人のほかに、周囲に人間は見当たらない。

 京都市出身の滝川乃彩(2年生)は映画のセットの中にいるような感覚を覚えた。「ゾンビがいなくなった後みたいやな」と同級生の油布藍里(同)に漏らした。

 2020年3月に営業を再開した大野駅の真新しい駅舎の、改札へと伸びる階段を上っていくとき、油布は、新築の建物で感じるセメントのような匂いがまだ残っている、と思った。

JR大野駅のそばにある線量計=2022年9月22日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 駅西口にある測定器には「0.218μSv/h」と表示されている。東京都内の数倍程度の放射線量に相当する。

 大野駅の西側に南北に伸びる通り沿いにかつてあった商店街では、軒を並べるようにあった建物の大部分が取り壊されて、なくなっていた。

JR大熊駅西口のかつての目抜き通り=2022年9月22日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 残った「やまだや」の建物の前には、青地に白抜きで「解体除染工事」と書かれたシートを縛り付けたトラックが停車し、数人の作業員が片付けをしている。道路脇にある看板によれば、このあたり一帯で、環境省の福島地方環境事務所が発注して、「被災建物等解体撤去等及び除染等工事」が進められているのだ。

 自転車やオートバイの専門店だったと思われる脇本輪業の建物では、引戸式の扉の隙間から日めくりカレンダーが見えた。2011年3月11日のままになっている。

 住宅の1階部分の割れた窓ガラス、物が散乱したままホコリをかぶっている家屋の内部、物盗りのためか壊された自動販売機。「ここには人の現在進行形の生活はない」と油布は感じた。

 滝川は、子犬たちはどうなったのだろうか、と思った。空き巣の痕跡のある民家の持ち主は大切なものを盗まれていないだろうか。カレンダーをめくることができる日は来るのだろうか。

大野駅待合室の本棚と図書館解体

 大野駅の2階、改札の脇の待合室の片隅に、3段の本棚があった。

 吉本ばななの『哀しい予感』、河原千恵子の『白い花と鳥たちの祈り』……。本が並んでいる。

 ラミネート加工されたA4判の白い紙が本棚に貼りつけられていて、そこに次のように書かれている。

 「大熊町図書館の解体により、廃棄予定だった本です。ご自由にお持ち帰りいただけます。本の第二の人生を共に過ごしませんか?」

 かつて、大熊町図書館に所蔵され、人々に読まれていた書籍、それをだれでも自分のものにしてしまっていい、というのだ。

 「私の青春おすすめの作家」と手書きされた紙が貼り付けられた袋の中には7冊の本が入っていた。

 梨木果歩の『西の魔女が死んだ』、あさのあつこの『グラウンドの空』、はやみねかおるの『ぼくと未来屋の夏』、長野まゆみの『野川』……。町のシンボルだった図書館がなくなるとしても、本だけは活躍し続けてほしい、という強い気持ちが阪本祐理子(2年生)に伝わってきた。

 かつての大熊町図書館は、駅から見える場所にひっそりとたたずんでいる。利用者はいない。薄緑色の屋根に灰色のコンクリート打ちっぱなしのシンプルなデザインでありながら、屋根の下にある丸い時計が柔らかさを醸し出している。その時計は午後2時47分で止まっている。

 「時計台は町のシンボルでもあり、震災後町を離れた人々にとってもふるさとの思い出に繋がる大切な建物です」

 2022年5月25日、図書館の存続を求める陳情書が町に提出された。

 しかし、7月11日、町は次のように回答した。

 「10年以上帰還困難区域にあり、維持管理ができなかった施設を修繕するには多くの費用が必要です。町として活用の予定のない建物を残すことは、将来の町民に責任をゆだねることになります」

「伝えてください」と楢葉町長

 同じ原発事故被災地であっても、10キロほど南にある福島第二原発の地元、楢葉町の様子はまったく異なる。

 放射性物質による汚染の度合いが比較的低く、楢葉町は2015年9月5日に避難指示を解除された。2022年8月末時点で、人口6,649人(3,115世帯)のうち4,243人(2,220世帯)が町内に住んでいる。

 町役場のほど近くにある商業施設「ここなら笑店街」は、夕方ともなると、多くの買い物客でにぎわう。

 一方で、栃久保さんは、元いた楢葉町の自宅で塾を再開できない。児童・生徒が震災前より大幅に減っている上に、町が他の塾と連携した学習会を小中学校で無料開催しており、それに太刀打ちできないと思うからだ。週末は楢葉町の家に戻って寝泊まりすることが多いが、ふだんは避難先のいわき市内で細々と塾を続ける二重生活だ。

 「切なかったのは、すみかが2カ所になったことです。ぼく個人としては本当は楢葉に住みたいんです。そこで年金を補う程度に塾経営ができれば……」

 子どもたちのための町の学習支援策に異論はないが、それが壁となっている現実もある。

 “こころの復興”を象徴する施設となることを目指して2018年に楢葉町中心部に開館した「みんなの交流館ならはCANvas」で2022年9月22日午後、私たちは、楢葉町の松本幸英町長や栃久保さんの兄・幸隆さん(71)ら被災者からお話を聴いた。おそらく町長は、栃久保さんから声をかけられたから姿を見せてくれたのだろう。

 学生たちを前に松本町長は「新しい町を我々町民全体でつくるという思いでやってます」と復興を語った。「苦労は多いですけど、ある意味、チャンスですからいろんなものにチャレンジしていこうということで今に至っているところです」

福島第二原発の立地する福島県楢葉町の松本幸英町長の話を聞く学生たち=2022年9月22日、福島県楢葉町北田で

 最後に松本町長は「二つお願いがあります」と学生たちに求めた。「いろいろな状況を見ておられると思います。正確にいろんな人に伝えて下さい、ということが一つです。あと一つは、皆さんがいらっしゃったのも一つの縁でありますから、いつでもけっこうです、ぜひもう一度おいで頂きますことを」

除染土壌・廃棄物の中間貯蔵施設のために苦渋の土地売却

 杤久保幸隆さんは学生たちの前で、県内の除染で出た土壌や廃棄物を運び込むための中間貯蔵施設の敷地とするため、大熊町にあった家と先祖伝来の田畑を環境省に売却せざるを得なかった苦渋の決断を語った。

杤久保幸隆さん=2022年9月22日、福島県楢葉町北田の「みんなの交流館ならはCANvas」で

 中間貯蔵施設の話が持ち上がった2014年ごろ、杤久保さんは、地権者の声を聞かずに施設の受け入れが決められ、「我々地権者が置き去りにされた」ように感じ、当初は土地の提供を断った。

 しかし、県内各地に除染で出た土壌の仮置き場が多数存在することを新聞の報道で知り、時間がたつにつれて、考え込んだ。「実際、反対していて、果たして福島県が本当に早めに復興できるのか」

 除染土壌があちこちにあっては、それら各地の復興は進まない。他方、ほかの県で除染土壌を受け入れてくれるかというと、そういうことにはならないだろう、と思った。「本来だったら同意はしたくなかったんですけど、福島県のことを考えれば……」

 中間貯蔵施設への土地の提供を決意したもう一つの理由は、福島第一原発の三つの原子炉の現状への懸念だった。

 「原発の溶け落ちた燃料デブリ、回収するまで果たして何年かかるか、これから何百年かかるか、本当に手探りの状態だと思います。原発のことは詳しくは分かりませんが、そういうなかで果たして生活していけるのか。中間貯蔵は30年後(に終わって元に戻す)と(国は)言っていますが、そのとき私は生きてないと思います。次の世代の若い人が果たして、自分が住んでいたところに戻って生活していけるか、そういうことを考えたときに、中間貯蔵に協力して、少しでも早めに復興していただいたらいいのかなと、あきらめてはないですが、そういうふうな考えに至った次第です」

 生まれ育った土地であり、先祖が残してくれた土地でもある。手放すことには悔しさがあった。だが、2017年4月、環境省に家と土地を売った。

 現在は大熊町から南へ60キロ、いわき市南部に住んでいる。

 大熊町にいたころのことをふと夢の中に見ることがある。田植えや稲刈り、そんな農作業をしている自分がそこにいる。今の現実ではかなわない夢だ。

5カ月で変わったことと変わらなかったこと

 岩波書店の月刊誌『世界』の連載「Z世代と探るジャーナリズム」第4回となる本稿は、これまでと趣向を変え、学生が執筆した原稿をもとに私(奥山)がデスク役となって筆を入れ、取りまとめた。コインランドリーとウルトラ警察隊については滝川が、駅西側の商店街跡地については油布が、駅の本棚については阪本が、杤久保幸隆さんについては藤井健輔(三年生)がそれぞれ担当した。

 震災発生12年の節目にあわせて本稿を世に出すにあたって、私は2023年2月18日、大野駅を5カ月ぶりに訪ね、駅周辺を1時間歩いた。

かつての大熊町図書館=2023年2月18日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 駅舎から見えるかつての町の図書館はそのままあった。町から解体を依頼された環境省によると、2023年2月16日、解体工事は始まったが、時計台を含む建物が撤去されるのは少し先になるという(note掲載の2023年12月22日にその後の進捗を問い合わせところ、図書館の建物は夏までに完全に解体された。コンクリートの土台の部分の撤去にはまだ数か月を要する見込みだという)。

 緑色だった草々は枯れてセピア色や茶色に変わっていた。「GES学習館」の看板の下に生えていた草は根元から刈り取られ、つるの葉の多くも取り払われていた。コインランドリーに放置されていた雑誌はそのままだったが、衣類は片付けられていた。

 大野駅西口の建物の撤去はさらに進んで、「やまだや」の建物はもはや見当たらなかった。まるで区画整理されたばかりの分譲地のように空き地が広がっていた。線量計は0.210μSv/hを表示し、5カ月前より0.008μSv/h下がっていた。

福島県大熊町のかつては目抜き通りだったJR大野駅西口の一帯には空き地が広がっていた=2023年2月18日、福島県双葉郡大熊町下野上大野

 このように少しずつの変化は見られる一方で、変わらないものもある。

 走る車を数台見たが、歩く人間は一人も見なかった。脇本輪業の建物の玄関の奥に見える日めくりカレンダーは2011年3月11日のままだった。(次回につづく

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