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憂鬱でなければ、良いプロダクトは創れない

憂鬱でなければ、仕事じゃない

ふと、頭に過ったその言葉の出所を知らなかった。調べると「憂鬱でなければ、仕事じゃない」という本に行き着いた。2011年に出版された本で、幻冬舎の見城 徹さん、サイバーエージェントの藤田 晋さんの共著だった。すぐにAmazonでポチッとして、一気に読んだ。

なぜ「憂鬱でなければ、仕事じゃない」が頭を過ったのか

大学院生を退学して、当時5人程度の学生ベンチャーにジョインした自分にとって、全てが楽しいことだった。僕はエンジニアとして、コードを書いてプロダクトを創ることが大好きだった。文字通り、寝食を忘れるように四六時中、コードを書いていたし、元旦であってもコードを書いていた。プロダクトの成長、会社の成長、自分の成長が自分をプロダクト創りに没頭させ、最高に楽しかった。時には本番環境のデータを吹っ飛ばしてしまい、仲間に助けられる日があった。また時には、人生で初めて、自分が創っているプロダクトがTVCMで全国で放映されるという瞬間を、仲間と共にオフィスの小さなテレビで見て飛び上がっていた。あの壮絶で、激動の時間を僕は一生忘れないだろう。

もちろん、今でもプロダクトを創ることは最高に楽しいし、天職だと思っている。四六時中、自分のプロダクトに役立つことはないかと考えているし、様々なデータを見ては、どうすれば沢山の人に幸せを届けることができるのか、心からワクワクしている。その気持ちに嘘はないし、常に正面から正々堂々と向き合い続けている。

しかしながら、仕事に出ていく朝、仕事が終わって家に帰る道で「憂鬱だな」と感じることが多くなったように思う。そもそも「憂鬱」という言葉の意味は、goo辞書によれば気持ちがふさいで、晴れないこと。また、そのさま。」ということらしい。憂鬱だと感じたとしても、仕事で手を抜いたことは1mmもない。心が病んで精神科に通っていた時期もあるが、風邪が出た時意外に会社を休んだ時はほとんどない。

憂鬱だと感じる時を言語化すると、自分の苦手だと感じることや結果がわからないような場面、つまり壁にぶつかることが増えたからだと思う。未経験からプロダクトマネージャーを任していただいた時、とてつもないプレッシャーを感じていた。毎日、帰りに頭が痛くなったほどだった。既存事業が好調で組織も拡大している中、新規事業の機運が高まり、数人で新規事業を立ち上げることになった時に、本当に成功するのかめちゃくちゃ不安だった。一人で新規事業のプロダクトのドキュメントを書いている時、正直にすでに心が折れそうになっていた。もちろん、絶対に成功するだろうという信じていたが、社内には成功事例がなかったし、すでに市場を取っている競合もいた。そして、組織が大きくなっていく中でコミュニケーション課題が多い自分にとって、当時プロダクトマネージャーと同時にプロダクトチームの部長も任せていただいていたが、他部署と連携したりチームを率いてプロダクトを創っていくことは苦手な領域で、失敗の連続で気持ちが塞がってしまっていたこともあった。

憂鬱でなければ、良いプロダクトは創れない

僕が考える、仕事における憂鬱という状態は、バッターボックスに立ってフルスイングすることだ。つまり、全力で勝負に出続けることである

中学、高校と卓球部に所属していた。卓球というスポーツは団体戦が存在するが中身は個人戦の積み重ねだ。つまり、自分が出て負けたらチームは黒星を背負うことになる。レギュラーとして試合に出れるのは数人だった。練習試合だったとしても、試合がある日は終始憂鬱であったことを思い出した。絶対に勝つという感情の裏側に、負けたらどうしようという負の感情がべったりとこびりついていた。卓球は実力差が顕著に出るスポーツであると同時に、戦い型による相性もある。他のスポーツとどうように勝負してみないと結果はわからないこともあるし、絶対に勝てないような実力差がある場合も存在する。チームの勝利を背負って戦いに行く時は、ものすごく憂鬱だった。ネガティブな側面をツラツラと書いてしまったが、僕は卓球というスポーツが大好きだし、あの青春の日々があったからこそ今の自分はここにいて、あの経験は人生の宝物であると胸を張って言える。

憂鬱ということは、新しいことにチャレンジすることであり、難しい課題にぶち当たっていること。むしろ、憂鬱ではない状態というのは、どこか勝負にいけてない自分がいることを示している。刻一刻と変化しているインターネット業界において、安心などなくて、常に適応することが必要だ。「憂鬱」という状態の正体が、ようやくわかってからは適度に憂鬱であることを求めているように思う。もちろん、ストレスフルな状態は心身ともに良くないので、上手く憂鬱さと向き合う必要がある。

プロダクト創りに向き合っている時、常に仮説と不確実性はセットで横たわっている。10年後、5年後、こうありたいというビジョンを実現していくためには、想像以上に険しい道が待っているだろうし、泥水をすするようなことがずっと続くこともあると思う。最初は未知に飛び込むことは楽しいかも知れないが、なんともできない現実に直面した時に憂鬱だと感じる時もあるかもしれない。そこから逃げずに、立ち向かうことの連続が、素晴らしいプロダクトを創ることに続いていく道なのだと思う。憂鬱とは、自分と戦っているということ、これを常に忘れないようにしたい。

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