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小さく、積み重ねる

もうすぐ28歳になる。一つ一つ歳を重ねていって、気がつけば30歳目前になってしまった。もう「若い」とは言えない年齢になってきて、何も結果を残せていない人生に焦りを感じつつも、毎年健康で元気に過ごせていることに関わってきてくれた人全てに感謝している。

このnoteでは、1年間の具体的な出来事を抽象的に振り返り、言語化する。ほとんどが自分のために書くが、誰かの少しでも役に立てること以上に嬉しいことはないので参考になったら幸いです。

弱い自分と向き合う

完璧な人間なんていない。そう頭で理解はしていても、何かをミスをしてしまうとか、何も成し遂げていない自分に対して許せなさがどうしても後を引いてしまい、自分の弱さが頭から離れない日々がずっと続いている。

その度に、いつも大好きな漫画に助けられる。僕は小学生のころからずっと少年ジャンプを買い続けている。少年ジャンプに出てくるヒーローたちは、純粋で無垢だ。一点の曇りもなく、正しいことを信じ続けて、勝つためにどんな努力も惜しまない。

RADWIMPSの好きな楽曲に「週刊少年ジャンプ」がある。その歌詞の一節にこうある。

週刊少年ジャンプ的な未来を 夢みていたよ
君のピンチも 僕のチャンスと 待ち構えていたよ

きっとどんでん返し的な未来が僕を待っている
血まみれからの方がさ 勝つ時にはかっこいいだろう
だから今はボロボロの心にくるまって 夢をみる

コロナ禍というのもあり、沢山の漫画を読んだ。ジャンルを問わずに読んだが、ルフィーも竈門炭治郎もシカマルも蛭魔妖一も登場するキャラクターたちにはいつも勇気をもらっている。

『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴/集英社) より引用

スタートアップ、ベンチャーは人材の代謝が激しい。つまり、人が出たり入ったりする。急成長するスタートアップには優秀な人が沢山ジョインする、言い訳をするのが悔しいが、自分は学生から学生スタートアップにジョインして常に「今」が最大の組織、プロダクトという状態で経験や実績がないことが実力的にも精神的にも足枷となっていたように思う。そして、組織が大きくなってくると自分の力だけではどうにもできないようなことが多くなり、独りよがりに考えてしまったり、どうにもできないような、よく聞いていた、スタートアップ初期のメンバーが組織の中でワークしにくくなっていくというのはこういうことかということを感じていた。何かできるようになれば次の壁にぶち当たり、その壁を越えていく優秀な周りの仲間たちに嫉妬して、いつまでこれを繰り返していれば、この渇きがなくなるのか、そう思う日々をずっと過ごしてきた。

この一年間で決めたことがある。それは、何かできない自分、弱い自分を認識し、向き合い続ける覚悟。自分には足りない部分がある不完全な人間であり、そのことで誰かに迷惑をかけてしまうかも知れない。不勉強でそのことに気が付かず、誰かに迷惑をかけてしまった場合は、全力で謝罪し自分の間違いを認め、全力でその人の役に立つことをし続ける。そして、自分の弱さを認識し、改善するために、常に頭の片隅で反芻する。そうやって、ずっと苦しむかも知れないが、自分の弱さに向き合い続けることを志として誓った。

成長とは、バッターボックスに立ち続けること

「圧倒的成長」という言葉を学生時代から、よく目にしていた。社会人になり、成長について考えることが多くあった。社会人として、一人の人間としての成長とはなんなのか。まだ、明確な答えは出ていないが、社会人として成長するということは、バッターボックスに立ち続けることであると考えている。詳しくはnoteに書いた。

バッターボックスに立つということは、自分自らバットを振ってホームランでも三振でも、ファウルで粘ったとしても自らが勝負の経験をすることができる状態を意味する。エンジニアであればコードを書くこと、デザイナであればサービスを設計すること、PdMであればプロダクトの成功のために意思決定をすることであり、それが主体性、当事者意識を高く持ち、裁量が大きく、自ら失敗も成功も経験することができる状態。やはり、自らが考え抜いて失敗したことは頭から離れにくいし、成功という勝ち癖をつけるという意味でも前線で戦い続けることが重要であると考えている。

この1年、BtoBtoCのプロダクト (SaaS) をゼロから立ち上げをしてきて、BtoCのプロダクトと比較して、クライアントの成功について考え、実行することが多かった。セールスチームと深くコミュニケーションをして、何がクライアントの課題として山積していて、それを解決するソリューションが競合と比較してどういう状態で、どうすれば継続してもらえるプロダクトにすることができるかをひたすら考えてきた。これは、自分としても新しい経験であり、BTC人材に必要なビジネス面が非常に強化されたと考えている。その結果として、新しいビジネスを創成するチャンスを自ら提案して推進していける機会に繋がっているように思う。このように、自分を特定の領域に縛りつけるのではなく、それぞれを越境して、自ら挑戦することで少しずつ欠けている部分が補われていくことを実感した。

スティーブ・ジョブズの名スピーチ」の一節にはこう綴られている。

それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない」とあるように、どれが将来の自分に役立つとか考えるよりも、目の前に転がってきたチャンスを全力で掴むこと、そのチャンスに対して全力で挑み続けることで、実は将来的に独立していたと思っていた点がつながっていくと信じている。それを実感したからこそ、本当の意味でプロダクトの成功に必要な仕事なら、選ぶようなことはしなくなったのは意識的にも非常に良かったと考えている。もちろん、仕事の取捨選択は非常に重要で、人間一人に与えられた時間は物理的に限られているので、その中で本当に解決すべき課題に向き合わなければいけない。

他の誰でもない、自分から行動する

自ら手を動かすということではなく、仕事をしていると「誰かがやってくれるだろう」と誰しもが思ってしまう場面が何度もやってくる。そういう時に自ら名乗りを上げることができるかどうかが非常に重要だと思っていて、自分にはまだ早い、自分にそのスキルが足りないとかは関係なく、他に適任がいないのであれば、自らがチャレンジしてスキルセットを合わせにいくように全力で挑むことが非常に重要であると考えている。

プロダクトの成功に必要なことであるということを大前提として、世の中には必要だけど難易度が高いとか、ちょっと面倒とか、自分の業務範囲を越えているから手が出しにくいというようなことは無限に存在している。自分に言い訳をして、誰かがやってくれるだろうと任せてしまうこともできるし、もしかしたらそれがチームにとって最善の策かも知れない。しかしながら、そういう状況において、自分から行動できる人間が多いチームは非常に強いのではないかと考えている。その課題を解決するために、一番良い方法は何か、自分が手を動かして推進していくことか、それとも周りを適切に巻き込んで足りないピースを埋めていくことかということを考えて、当事者意識を持てるかどうかは、その行動そのものではなく、そういうスタンスが非常に重要だと思っている。

一方で、何でもかんでもボールを拾ってしまっては、一つ一つの質が落ちてしまうし、余裕がないと周りにも迷惑をかけてしまう。もしかしたら、本当に注力しなければならない課題に対してリソースをかけることができずに、本末転倒の結果を招いてしまうかも知れない。今までの自分はそういうことをよくしてしまっていた。物事が小さい時には、一人の推進力が重要であるが、事が大きくなってくるとそうではいられなくなる。この一年は、チームとして成功するためにはどうすればいいのかということをひたすら考えて、自分が自らいく場面と仲間に託すという場面を明確に分けることを意識した。仲間に託すとは、完全に投げるのではなく、アウトプットに対してのフィードバックや要所での確認することでチーム全体がバッターボックスに立ち、学び成長できるようにということを考えて動いていた。

人生で一番小さく、最も大きな会社

大学院を退学して、そのまま5人程度の学生スタートアップに就職した自分に取って、全てが未経験であり、その瞬間で一番小さく、最も大きな会社、組織、プロダクトを経験していることになる。

初期フェーズにおいては、自分が若かったということもあり、ひたすら無我夢中で目の前の課題だけにフォーカスして全力で挑んでいけば良かったが、次第に立ち塞がる問題の難易度が高く、変容してきた。つまり、組織やプロダクトが大きくなっていくと、組織の問題の比重が大きくなっていくことを感じた。自分には、大きな組織に属していた経験もなければ、それをマネジメントをしていたこともないので、失敗をしないためにどうすればいいのか、そもそも何が正解に近いのかということさえもわからず、手当たり次第に試しては玉砕される日々が続いていたし、本を読んでどれだけ勉強しても、他社の人からどれだけヒアリングしても、手も足も出ないという状況だった。

スタートアップあるあるかも知れないが、初期にいたメンバーがフェーズが進んでくるとフェーズが合わなくなっていき、徐々に抜けていくことをよく聞いていて、自分もそういうフェーズに来たのかと考える日もあった。しかしながら、僕が立ち返ったのは、自分がなぜ働いているかということで、自分は「多くの人に使われるプロダクトを創ること」をするために、働いているので、それを成し遂げるためには全てが手段であるということを強く考えるようになった。世界的にみても、少人数で成功する事例もあるし、数年で世界的なプロダクトになってしまうケースもあるはあるが、偉大なプロダクトを創るためには、優秀な人が集まり、長期スパンで夢中になってプロダクト創りにフォーカスする必要がある。その過程において、フェーズがどうのこうのという考えは言い訳でしかないし、その環境に適応していかなければ偉大なプロダクトを創ることなんて決してできない。だからこそ、自分の環境に対して、抗いもがいていくことを決意した。それを含めて自分の弱さであり、経験がないなら経験を積むことに対しての貪欲さが足りていないだけ、知識がないならもっと本を読むなり、有識者に聞きにいくスタンスが足りてないだけ、自分の未熟さを逃げる理由にしない。そう考えることができるようになって、長年モヤモヤしていた殻が破けた気がした。

本当の"意味"で理解する

人間は本当にわかり合うことなんてできないし、大なり小なりぶつかり合いは避けることができない。そして、人間は論理的な生き物でもないし、感情や信じることが行動の源になることもある。

しかしながら、お互いの間には深い溝があることを認識して、歩み寄ることができるのも、また人間だと思う。ぶつかり合いが起きてしまった時に、お互いが納得する答えを話し合い、導き出せるのも僕たちが発展してきた大きな要因であると思う。

組織が大きくなり、個々の役割が明確になると、いわゆる調整をする仕事がどうしても多くなってしまうし、それがないと何のために誰が動いているのとかがわからず、結果として成果に結びつかなくなってしまう。この過程が自分は非常に苦手で、自分の頭の中にある概念や思考結果を相手に理解してもらえるように伝えることができなかった。その時に下記の本に出会うことができた。

これまでの自分は、自分の側に立って自分の思考を説明しているだけで、相手側に立って、どんな溝があるのかを知ろうとも思わなかった。それでは相手が理解してくれようとしていたとしても、自分から溝にかかった梯子を取ってしまうようなことをしていたということに痛いほど気がつかされた。バックボーンも経験も違う仲間たちとお互いが納得して仕事をするには、本当にお互いを理解し合うことはできないという前提の上に立って、向き合い歩み寄れるように、お互いが相手側に立って溝を認識して埋めて作業こそが、本当の"意味"で理解し合うということなのだと思う。

しかしながら、各々が役割と成果のみで結びついて素晴らしいプロダクトを創っている組織もある。自分が所属している組織の答えではなく、僕自身がどうしたいかでいうと、お互いがお互いの間に横たわる認識の溝を認識して、丁寧に埋めていけるような組織文化を構築する方が、単純に楽しいし、実は遠くまでいけるのではないかと考えている。仕事の質の根底にあるのは、純粋にそれを楽しみ、熱狂できているかということであり、そういう個の集合体が相互作用して化学反応を起こす場所に、素晴らしいプロダクトが形成されると信じている。そして、それは僕だけが考えるのではなく、組織文化に深く根差し、行動の源泉にすることができるかが重要であると考えている。僕個人としては、その方が楽しいし熱狂できると考えていることがどれだけ今の組織に対して有効に作用にするのかわからないが、自分の信念として持つことができたのは、今後においても良かったと考えている。

相手が嬉しいことを考え抜く

相手が最高に喜んでくれることはなんだろうか。今まで自分側でしか物事を考えてきてなかった自分にとっては実践が難しかったことだった。自分と相手は本当には分かり合えることができない前提の中で、どうすれば相手が喜んでくれるだろうかを考えることは非常に重要なことであると気がつかされた。

仕事の関係において、自分にはできない仕事を依頼したり、依頼されたりすることがあると思うが、自分の要望だけを押し付けていないだろうか。ロジックだけで相手に納得してもらって動いてもらろうと考えていないだろうか。人間は完璧に論理的な生き物ではないので、たとえロジックが正しかったとしても、伝え方の違いで受け取る印象が異なる。組織が大きくなり、部署における仕事の役割や管掌が明確になると、部署間でのコミュニケーションが増えていく。仕事を依頼することされることは当たり前で、そこに相手が嬉しくなるような要素をいれることは不要なのだろうか。お互いに気持ちよく仕事をして、ずっと続いていく関係性を少しでも良くできるのであれば、楽しく働き、成果を出していくためには重要なことだと考えている。

それは伝え方であったり、明確なメリットを用意することであったりする。そうするために、ちょっと作業が増えてしまっても、相手が喜んでくれるなら、そうすべきだと考えている。そして、それは一方的では搾取になってしまうので長期的には続かない。組織文化として、個々がお互いを思い合う気持ちを大切にすることは、素晴らしいプロダクトをみんなで創っていく上で非常に重要なことだと思う。

海は青いということ

3年前に書いたnoteを思い出した。優柔不断で誰かに決めて欲しいと思ってしまう自分にとって、物事を自分で断定することに対して苦手意識があった。つまり、自分が正しいと思うことを正しいと言えるかどうか。

この一年で学んだことは、自分が正しいと思うことをそのまま伝えるのではなく、相手に伝わるように伝えることができるかどうか。これは、相手が経営層だったとしても、物怖じせずに自分の考えをわかりやすく簡潔に伝えることができるかどうかを考えてきた。大好きな漫画に「左ききのエレン」がある。いつも勇気をもらっている。

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『左ききのエレン』(かっぴー/nifuni/集英社) 150話より引用

目的はプロダクトを成長させることで、自分の考えを伝えることが目的ではない。しかしながら、それを伝えることで1mmでもプロダクトが成長するならば、それは絶対に伝えた方がいい。伝えたとして、自分の考えが間違っていたとしても、その間違いをアップデートできるかが非常に重要であると考えている。

誰も正解をもっていないし、正解がわかったとしても、理想と現実とのギャップを埋めるためには、非常に険しい実行の積み重ねをしていかなければいけない。だからこそ、自分の考えを持って、柔軟に思考してチャレンジし続けることが大切だと思う。

常に最難関のチャレンジをし続ける

自分は今、最もチャレンジングなことをしているだろうか。内外を問わず。世界に対して、自分にとって最も難しい選択を今取っているだろうか。常に自分が置かれている環境を客観視してみて、フラットに判断する。もちろん、今まで積み重ねてきたものがあるので、全てをゼロから考えるのではなく、現状の選択できる選択肢の中で最も難しいチャレンジをした方がいいと考えている。

だからこそ、転職の話だったとしても面白そうな話は積極的に聞くようにしている。現状維持は、衰退と同義なので、自分がまだチャレンジしたことがなくて、自分の目的とも合っている選択をするように心がけてきた。そして、それを最小最速で不確実性を落とすためにはどうすべきかを考え、アクションに落とすことが大事だと思う。

もし仮に、自分にとって最も難しいチャレンジが外にあったり、自分でやった方が良いと思うならば、サンクコストもあるだろうが行動してみた方がよいと考えている。守るべき家族がいたりと様々な状況があると思うので安易には考えていないが、そういう諸々をひっくるめても難しいチャレンジをし続けた方が健全だし、長期的にみて正しい意思決定だったことが多いのではないかと思う。現状に固執し執着してしまい、それを守るためにねじ曲がった意思決定をしてしまう方がリスクが高い。

『アイシールド21』(稲垣理一郎/村田雄介/集英社) より引用

たとえ、自分が弱小だったとしても、目標のために強大な敵に戦いを挑んでいく。アイシールド21に登場する蛭魔妖一は、いつも逆境の中、自分たちが取れる最強の選択をし続けていた。自分は天才ではない、それを痛いほど理解しているからこそ、自分の持てる限りを尽くして戦う。自分もそういうチャレンジをし続けていきたいと考えている。

マネージャーとプレイヤー

マネジメントとプレイングの両方を極める。マネジメントといっても多種多様に存在しているが、ここでいうとプロダクトマネジメントとピープルマネジメントのことを指していて、プレイングとはエンジニアリングやデザインなど手を動かして物事を推進していくことと限定する。一般的には、マネージャーとして人や物事の管理をしていると、いわゆる現場感みたいなものが徐々に陳腐化していき使い物にならなくなってくる。近年は、様々なツールやフレームワークが急激に普及して、陳腐化の速度が早まってきたと思う。一年も現場で手を動かしていないと置いていかれて行ってしまう感覚がある。

手を動かすこと、つまりエンジニアリングやデザインをしているとプロダクトの初期の段階では、その行為そのものがプロダクトを成長させる源泉になるが、組織が大きくなり、プロダクトのフェーズが進むとチームの交通整理をして最速で走れるチームを運営していくマネジメントの比重が大きくなる。この仕組みはほとんどの組織において採用されてきた手法であり、最近ではマネージャーを置かないという組織論も存在するが、王道でいけば階層式の組織となる。そのような組織で重要な役割がやはり、チームを勝利に導けるマネージャーであると思う。

しかしながら、マネージャーを含めて全ての役割は人の入れ替えやそもそもの役割の必要性を含めて柔軟であるべきで、フェーズや状況が変わっていけば、それに応じて変化できる方が組織として強い。つまり、マネジメントとプレイングの垣根なんて存在せず、ただ単に役割が存在しているだけである。明日から、またプレイヤーとして100%コードと向き合う時間になったとしても不思議ではないし、その次の月は100%プロダクトマネジメントに振り切った方がプロダクトの成長に寄与するならば、そうすればいい。重要なのはどちらの感覚も忘れることなく、常にキャッチアップし学んでいく姿勢と、いつ役割が回ってきたとしてもフルスイングできるスタンスで臨むことだと考えている。

叫び続ける

どこで働いても良い時代だ。だからこそ、何をすべきかを考えなければいけない。リモートワークは一般化して、都心に住む意味が薄れてきてしまった。利便性は高いといっても、Amazonは生活用品や欲しいモノを無料で届けてくれるし、都心は家賃が高すぎるし、生きにくい場面もある。そして、スタートアップ、ベンチャーの環境整備が進み、自分たちを可視化して、より良い組織、向き合うべきどでかい社会課題を掲げていなければ、人を採用することが難しい時代に突入している。働く環境や人も同質化していった先に、企業の優位性はどこにあるか。働く人間が本来あるべき姿とはどういうものだろうか。突き詰めると、やはり僕たちは社会に対して、どんな素晴らしいことをしようとしている組織なのかをということだと思う。

モチベーション3.0に書かれている「内発的動機付け」、つまり内から湧き上がってくる動機付けが重要になってきた。稼ぎはとても重要であるが、それを大前提として、自分自身がやりたいと思うかどうかが重要な指標になってきたということだと考えている。それは、個人のバックボーンや経験によって異なるので、基本的にはユニークであり、多様化する。だからこそ、多くのスタートアップが生まれてくるし、それぞれ違う山を登っていく志が存在する。働くとは、志の共感であり、より大きく広い志を掲げなければならない。

そして、近年は採用手法の均質化が一気に進んでいて、どこかの企業がやって良さそうなことはすぐに真似できてしまうし、より良い組織にしていないとその振るいから落ちてしまう。どこも同じような資料を公開している中で、重要だと思うのがやはり、人類にとって本当に解かなければならない課題を掲げて、愚直に正しいことをやり続けることなんだと思う。自分たちがより良いと思うならば、それを叫び続ける。それに共感してくれた人と、でっかい目標に向かって歩を進める。待っていたとしても、優秀な人こそ引く手数多で市場になかなか出てこないので、愚直に叫び続けるしかないのだと思う。

積み重ねればやがて大木になる

コツコツと積み重ねる。大好きな漫画「DAYS」、高校からサッカーを始めた少年の物語。運動経験は何もないところからスタートして、毎日毎日ひたすら走りこんで、自分に足りない部分を、仲間と共に積みかせねていく。何もないところから社会人となって、心が折れてしまうようなことを経験しても、ひたすら基礎練習の反復をやり続けていけば、やがて大きな財産になっていく。急成長するスタータップで、自分自身にも急成長が求められる環境においても、最も大切なことは初心を忘れることなく、直向きに積み重ねていくこと、それが土台となって自分を支えてくれる。そこに近道なんてないし、脆く崩れてしまうかもしれないけど、直して繰り返して積み重ねていく、それをずっとやり続ける。

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『DAYS』(安田剛士/講談社) より引用

27歳の1年間はあっと言う間に過ぎ去ってしまったし、圧倒的な成長もできなかったけど、自分を知り、これから何をすればいいのかということに真正面から向き合うことができた1年間だったと思う。それを28歳になったとしても、コツコツ積み上げていくことを誓うことができた。

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