さんずいへんの私 -2020年9月13日

 私の生まれた日は水曜日だったらしい。

 ネットで検索したらすぐに知ることができた。なるほど、水曜日かあ。何とも言えない。
好きでも嫌いでもない、水曜日。その学期の時間割によるな、という感じだ。美術があれば合格。

 紙に自分の名前を書く時、さんずいへんの部分をリズミカルに書くのが好きだ。そうして書いたさんずいへんは、ほんとうに水が跳ねているみたいに見える。ここにも水が。

 水族館が好きだ。いや、くらげが好きなのかもしれない。とにかく水族館に良く行く。昔は何が面白いのか理解できなかったけど、今は動いているものはずっと見ていられると思う。同じ瞬間がないからだ。しかし、ずっと見ていられる、と言うわりには、私はかなりスピーディーに巡回する。自分自身が思うほど、本当は何にも興味がないのかもしれない。

 水泳教室に通っていた。7年間。陸上ではあまり速く走れなかったが、水中では両隣のコースのクラスメイトより速く泳げた。小学校の頃は水中で一回転が出来ていたが、そういえばいつの間にか出来なくなっていた。水泳をする機会もそういえばなくなった。当時は逆上がりができないことや跳び箱ができないことより、それができないからといって練習させられるのが嫌だった。

 風呂が好きだ。よくスーパー銭湯に行く。なぜかスパワールドのローヤルゼリーの風呂の匂いをまだ鼻腔で再現できる。浴槽に浸かっている時、急にお湯がカチカチに固まったらどうしよう、と何故か考える。一回もそうなったことはない。そういえば、家族で行った兵庫県の城崎温泉は卒倒しそうな位良かった。わたしは「城崎にて」の文庫を小さな本屋で買って、その夜に旅館で読んだ。どんな話だろうと思っていたのに、読んだことがあったようで驚いた。いつ、どこで読んだのかは覚えていない。

 引越しをした。一人暮らしになった。ひねった蛇口から出てきた水道の水がなんとなく冷たい。ひとりになったのだと思った。
 淡々と暮らそうと思った。淡々、に隠れたさんずいへんに気付く。実際わたしは淡々とミネラルウォーターのような日々を過ごした。茹だるような8月の怠さから逃げるように実家に帰ってきた。しかしそういった灼熱も台風が嘘のように掻っ攫っていった。同時に大量の雨粒を寄越し、私は気圧による頭痛で寝込むことになった。

 気づいたら9月になっていた。冷えピタをはがしてベッドから立つと立ち眩みがした。フラフラとシンクで顔を洗ってうがいをしようとコップを持つと、手に力が入らなくて床に落ちた。手首が木の枝みたいだった。体重が5キロ落ちた。このまま世界に私が占める質量が減っていくんだろうか。水を口に含むと血の味がした。けど結局、どこから血が出ているのか分からなかった。

 人間の身体はほとんど水分でできているそうだ。それを知ってから、歩くとぱしゃぱしゃと音がするように錯覚する。涙が出るのは、人間が海から生まれてきたからだと誰かが言っていた。わたしは海から生まれた覚えはないし、海の記憶がない。だから、歩くと体の中で水が跳ねる音がしない。雨の日に寝込む。ミネラルウォーターみたいな日々に耐えられない。

 とことんまで水に弱い。私が今まで打ち勝ってきたと思っていたものより圧倒的な力でねじ伏せてくる。床に落ちたコップとぶちまけた水をいつまでも見つめている。

 私は水曜日に生まれた。

 

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